今日も元気にホルモンに翻弄される
女性機能を有する者として避けては通れない……と個人的に思っている、無邪気な(全然かわいくはないけれど)ホルモンバランスの揺らぎ。
何十年と付き合ってきても、全く同じ心身の揺れ動きで翌月を過ごすことができない。
これはかなり個人差があると思うのだけど、私の場合は、日々の気分の乱れ方を書き留め記録し気持ち的に準備をしていても、翌月になるとそれらは軽やかに私を裏切ってくる。ちょっとしたストレスや睡眠の質が変わっただけでも簡単に影響が出るのだ。
なんとも難儀なものである。
昔からある種の儀式めいた体の変化の話に違和感を感じることがあった。とはいえ、そういうものとしてこの世に生を受けているし、そこに違和感があるわけではない。
ただ、赤ちゃんを産まなくちゃいけないからね、という文脈で語られるのが嫌だったのだ、と今ならちゃんとわかる。
さも当然と話す先生の顔が、ぬっとした作り物めいた顔に見えたものだ。先生は機能的な話をしているに過ぎず、間違っているわけでもない。
だけど、もうその当時から私は違和感を感じていたらしい。
毎週エッセイを書きながら自分を振り返っていると、今までぼんやりとやり過ごしてきた日々の中に、すでに現在の悩みの芽は存在していて、私を形づくる要素はそこここに散らばっていたことに気づく。
けれどもそれらは、アラサーに片足を突っ込むあたりまで、幸運にも(今なら鈍感力は幸運だと判断できる)息苦しいまでの違和感として私自身に訴えかけてくることはなかった。
だから私は気づかなかったのだ……自分の気分の乱れがホルモンに起因するのではないかということを……。ワァ、ドンカンリョクッテ、スバラシイ!
はい、単に私の頭がゆるいだけだと披露したようなものです。
今はこれだけ自分の心の声を聞こうと頑張っているのだから、当時から自分の声を蔑ろにするなとと言いたい。
けれども、ここで言い訳の一つでも書いておきたい。
高校を卒業するくらいまで(いや、現在に至るまで粛々と、か)私はとにかく自分の意思や意見を我慢する「平和主義者」だったので、周りの人の感情の機微や声にはすごく敏感だったけれど、自分のことは我慢という文字で押さえ込んできた。
今思えば、そういう行為がどんどん自分の声を聞こえなくさせていった原因だなと思う。
そうして大人になり、社会に出て、ホルモンバランスとも仲良くなれず(だって気づいてないから)自分を押さえ込み、かつストレスを溜めがちで発散すら下手くそな者が行きついた先には……。そう、休職の二文字。
実は、半年弱くらい仕事を休んでいた時期がある。
そしてさまざまな心身の不調の中で、もしかしたらホルモンバランスの問題もあるのでは?と思い始めた。
一度そうかも!と思えば、見に覚えがありまくる。ぼろぼろ出てくる。
余談だけど、自分の声をちゃんと聞いて生きていこうと思ったのも、この時期。
PMS、それからHSP。
これまでちゃんと向き合ってこなかった自分の特性と向き合い、自分の声を無視しない。
エッセイもその一環で始めてみた(ようやく自己紹介記事の伏線を回収できた顔)。
そういった経緯があるので、心療内科には本当にお世話になっている。
仕事ができるまでに回復した今でも、毎月一度は通院し、主にPMS対策として漢方を処方してもらっている。
服用したから、完全に大丈夫!とはいかないけれども、気持ちのお守りにはなる。
女性機能を持つ者として、あるいはそうでなくても、心療内科やカウンセリングに月一度ほど通うのも、自分の声を聞くという意味ではとても有効なんじゃないかと思ったり。
気分や体調が「本当に良い日」というのは、実際のところ月に3日もない。
だけど、避けては通れないこの日々を、どうにか工夫して悩み過ぎず、過ごしていきたいと思う。
これも余談だけれど、最近SnowManにハマって、生きる力をもらっている。
生身の人間に興味を持ったのって実に久々。
……「推し」ッテ、スバラシイ!
おしまい!