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『心奪われる瞬間に』

 じだいのはざま展 vol.3


『心奪われる瞬間に』

 社会人になってから、新鮮な考えなんていうものはなくなってしまいました。アートにすら目を向けることもなくなりつつある日々であったと思います。衝動的にアートを味わうことはあっても、学生時代とは少し異なります。何が違うのか考えたところ、『人の想いを受け取るほどの余裕がない』のだと気づきました。初めは『この作品にはアーティストさんの想いがのってないのかな』と感じていましたが、その想いに気づくことができなくなっていたのだと思います。
 それ以降もアートにはたくさん触れ、味わっているつもりですが、もしかしたらまだその度量はないのではないかという疑念も常にそこにあります。でも、本当はそのときの自分がありのままに受け止めるだけでいいのだと感じることもあるのです。アーティストさんの作品が評されている(※客観的な『評価』ではなく、主観的な『評価』の場合も含む)はずが、なぜだか受け取る側(作品を見る人)も評されているような気がしてならないのです。ただあくまで趣味であるため、あまり気にせず生きるのが一番だと結論付けます。

 そんな折、尾崎豊さんの曲をよく聴くようになりました。どちらかといえば、親世代の曲であって、もちろんその時代を生きていたわけではありません。しかし、何かこう頭を突かれるような、心を掴まれるようなそんな衝撃が全身に走りました。


生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛す まっすぐさを 強く信じた
             尾崎豊「卒業」

 納得してしまうが、そうであると認めたくはない。そんなことが頭を巡る時間です。なんとも言い難い感情が自分を襲います。
 これこそが【心を奪われた】のだと思います。
 その感覚が波紋のように広がっていき、どんどんと自分という存在を占めていく感覚です。またこの現象もうまく言語化できないのですが、兎にも角にも「心奪われる」だったのです。

 みなさんは最近、心奪われたことはありますか?
 みなさんはどんなことに心奪われますか?




 「心奪われる瞬間に」出会えることって、とっても贅沢だと思うんです。何よりも簡単には気付けないから。

 

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