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頑張り屋さんの少女時代を供養してくれたのは0歳の息子だった話。

私は子供の頃、頑張り屋さんだった。
理由はシンプル。
お母さんに笑顔になってほしくて。
お父さんに褒められたくて。

母の笑顔や父の承認が、私の満足点。頑張る意味だった。
これでは頑張っても頑張っても自分が満たされず、
ただ賞状やタイトル、スキルや成績が上がっていく。心は満たされないのに武装だけは一丁前になっていくようなそんな感じだった。

子供の頃の私が欲しかったのは母と父の最高の笑顔と全てを受け入れてくれる温かい表情と言葉だったんだ。

俯瞰してみると、自分の満足いくかどうかが他人が決める構造になっている。

それに、私は頑張るという言葉が嫌いだった。
頑張るって何?もう頑張ってるじゃん!
そう思っていたことも多かった。

SNS上では承認欲求という言葉がある。
子ども時代の私は承認欲求が人一倍強い子だったのか?

そうではないと思っている。

なぜなら、子供はみーんなママとパパが大好き。
子供はママとパパに笑顔でまるっと受け入れてもらいたい。これは子供の本能とも言える気がする。
これは私がママになってわかったこと

大人になって、子供の頃満たされなかった承認欲求はどこえいくか?
正直言って私は最近までずーーっと持ったままだった。
変わったのは子どもを育ててから。
子どもがママのことが大好きで、ママが笑っていることが何より大事なことがわかったから。
だから、この承認欲求は小さい頃の私はママとパパのことをとっても大事に思っていた証拠だと思って、自分の心の整理棚に良い思い出としてしまっておこう。

これからは、私の満足点は私で決めよう
やりたいことをやろう、頑張らなくていい。
昔とった杵柄を使わないと勿体ないなどと考えなくていい。

そして今度は子どもの頑張りを笑顔でまるっと受け入れよう、少女時代の私がして欲しかったように。

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