ウーフは何でできているのか
パンは小麦粉でできている。新聞は紙でできている。
めんどりは卵を毎日うむからたくさんの卵でできている。
どんなものも変わらぬ何かでできている。
じゃあウーフは何でできているの?
入れたものでできているのなら、ウーフは朝たべたパンとはちみつと卵でできているのかもしれないね。
出したものでできているなら、ウーフはおしっこでできてるのかもしれないし。
でもウーフは自分が、入れたものでも出したものでもなく、痛いと「感じ」、食べたいと「思い」、新しい遊び方を「考える自分」でできていると気づいた。
ウーフ大人だなぁ。
私は、入れたもので自分ができているって思いたい。だって自分で選んで入れてるんだもん。
肉体的にはたんぱく質をちゃんと入れて筋肉をつけたいし、精神的には小説や音楽をたくさん入れて感性をみがきたい。
出したものが自分を証明するって思うのもいい。自分の労働で作りだしたお米や野菜という物質で誰かのお腹を満たしたり、自分の言葉や作品で誰かを元気づけたりだ。
待てよ。
その、私の出した作品はそもそも私が考えたものだよね。作品の形で誰かに届く前に私が考えたり感じたりしたものが、大もとだ。
その大もとが、ウーフは自分を自分たらしめているものだと言ってるやつだ。
ウーフは誰か他人に届かなくても、自分が感じ、考えただけでそれが自分を作ると言った。
大人だ。他人の認知も評価もいらないってことだ。自分は自分だけで成り立ってるって知ってるのだ。
ウーフ、大人だなあ。
私はまだまだだなあ。
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