西野亮廣・著「ゴミ人間」
「信じ抜くんだ。たとえ一人になっても。」
映画「えんとつ町のプペル」のテーマになってる言葉です。
この言葉は西野亮廣という人間の生き様と覚悟をあらわし、この言葉を理解すれば
映画「えんとつ町のプペル」をより楽しめるはず。
「ゴミ人間」
まずは、このタイトルの説明をしますね。
・もともと夢のたぐいを持っていたのだけれど、大人になる過程で
その能力や環境をかんがみて、折り合いをつけて夢を捨ててしまった。
・そんななか、「みんなが折り合いをつけて捨てたもの(=ゴミ)を
いまだに持ち続け、ていねいに磨き、輝かせようとしてるものがいる。
つまり「ゴミ人間」とは、みんなが折り合いをつけて捨てた夢の集合体。
だから、そんなひとが成功でもしようものなら夢を捨てた人たちの間違いを
証明してしまうので「無理だ無理だ」と、はやしたて足を引っ張るわけです。
挑戦者
「誰もやったことがない挑戦」には正解がありません。
だからこそ何度も挑戦し、失敗を繰り返して
「選んだ道を正解にする」しかありません。
しかし、世の中はいつものように挑戦者に対して誹謗中傷を
繰り返す。
そんな世の中に向かって主人公ルビッチは叫びます。
「誰か見たのかよ!誰も見てないだろ?だったら、まだわかんないじゃないか!」
そして多数決には負けず責任のすべてを背負って進みます。
この本は世界中にいる名も無き挑戦者たちの背中を押してくれると同時に
その「覚悟」も問いかける。
しかし最後にはこんなエールで「勇気」を与えてくれます。
「負けるなよ。学び狂って、強くなれ。圧倒的な強さを手に入れて
誰よりも優しくなれ」
まとめ
この本の中に「忘れないように、忘れられないように」という章があります。
ボランティアスタッフのノンちゃんが交通事故で亡くなられたそうです。
彼女は自分の好きな作品を残してこの世を去りました。
そして西野氏はこう言っています。
「人は二度死ぬ。一度目は肉体的な死。二度目は忘却による死」
二度目の死は食い止められる。作品を残すことだ。
映画「えんとつ町のプペル」のワンシーンに彼女の名を刻んだそうです。
人は死ぬ。それは突然に。
だから正解のない、いまを精一杯、生き抜くことしかできない。
このメッセージをどう受け取って、どう生きていくのか。
まずは一歩踏み出して、走り出そう。
そして、つらくなったり苦しくなったら、立ち止まり自分に言い聞かせよう。
「信じ抜くんだ。たとえ一人になっても」