これまでの事を書いています、総動脈幹遺残症の記録
昨年8/23にこの世に生を受けた我が家の三女。彼女は先天性の心疾患、総動脈幹遺残症を患っています。その彼女と家族の記録を綴るのが当マガジンの役割です。
初めて遊びに来てくださる方もいるかと思うので、改めて僕の家族に起きてていることを書こうと思います。
三女の娘は、妻のお腹に宿り、厳しい悪阻の日々でしたが元気にスクスクと大きくなってくれていました。
上には二人の未就学児がいます。二人とも、歳の離れた三女のことを好意的に捉え、母親のお腹に向けて、優しく声を掛けてくれていました。
母胎が大きくなるにつれて検査が進みます。
予め上の子二人と同じように帝王切開での出産が決まっていました。
その予定日に向けてあと約二ヶ月の頃に受けた心臓エコーの検査で、本来見えなきゃいけない心臓から出る血管が確認出来ませんでした。
翌週改めて、お世話になっていたクリニックの院長先生に診てもらいましたが、やはり、そこには血管は確認が出来ませんでした。
急ぎで大学病院にある胎児の心臓の専門の先生への紹介状を書いてもらい、そちらに伺いました。
だだっ広い病院の一角にあった胎児の専門の診察室で綿密な検査を受けました。
そして、その結果が「総動脈幹遺残症」でした。
聞き馴染みのあまりに薄い病気でしたが、指定難病の一つであることが分かりました。
病の本質を簡単に言えば、心臓から伸びる血管の構造に異常がある為、酸素交換された血液と、酸素が使われた後の血液が混ぜこぜになっちゃいます。
放って置くことが出来ない病なのです。
大学病院の先生はとても明快に僕らに分かるように説明して下さいました。
治療方針をざっくりと言えば、手術で血管を人工のものに付け替えれば回復が見込まれる病気です。
その上で、近所にある子ども病院でのセカンドオピニオンも含めて提案がありました。
それを受けて、その子ども病院での出産、手術、治療を決断しました。
そして予定された日程で帝王切開により出産が行われて、その二日後に、血流量をコントロールするために肺動脈を縛るための手術を受けました。
無事に成功した後は、一才になる頃をめどに、心臓の本格的な構造を治療する為の手術を受けます。それまでの間は、大きくなってもらう為に、ミルクや離乳食をやります。
飲める量に限りがあるので、お鼻から胃に直接通るチューブを付けています。
夜中などはこれを介してミルクをやります。
ミルクのペースを間違えると、すぐに嘔吐になり、片付けに追われます。
ミルクが終わる頃には、使った器具を消毒して一時間したら、またすぐに次のミルクの時間です。
病気があろうとなかろうと、赤ちゃんの世話はタフなものです。と、同時にパワーを貰えます。
心疾患を抱えている事もあり、どんなにケアをしても風邪に掛かることがあります。
この一年の間に繰り返した入退院は数え切れません。
それでも家族が揃った時の喜びは人生の中で一番豊かなものだと感じます。
その三女の本格的な手術が今月後半に行われます。
また手術室に送らなきゃいけない苦しみはありますが、娘の成長の為には避けて通ることの出来ない道です。
成功した先には、姉ちゃんたちと同じように、自由にグラウンドを走り回る未来だって、待っています。
狭い病室のベッドよりも、外の世界にはもっといろんなことが待っているのです。
そんな過程を綴っています。もしよろしければ、こちらをどうぞご覧下さい。読んでくださる方が増えれば、とても励みになります。そして必要な人に届くよう、シェアしていただけると嬉しいです。
どうか、うまくいきますように。
そして同じ病に立ち向かう人にとって、必要な情報になりますように。
長文になりましたが、どうもありがとうございました。
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総動脈幹遺残症が教えてくれたもの(定期購読版)
我が家の三女は出産前に、一万人に一人の割合の重症心疾患、総動脈幹症という病を患っていることが分かりました。 彼女の治療と同時に、三姉妹の…
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