地方都市のレコード店にて

(前回のあらすじ)
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彼は音楽を捨てた。

楽器を手にすることも、音楽を聴くことすらなくなった。

正確には、音楽を身体が受けつけなくなっていた。
音楽が聞こえてくると気分が悪い。

それでも時おり、思い出したかのように楽器を手にすることはあったが、次の日には再び元の音楽を受けつけない身体に戻っているのだった。

苦しい日々が続いた。

世間では彼と同世代のミュージシャンが注目されていた。

苦しい日々が続いた。

彼は父親の伝手を利用してそこそこの企業に就職した。毎日必死で働いたがやりがいや面白味を感じたことはなかった。欲しいものなど何もなかったので貯金だけが増えていった。 

苦しい日々が続いた。

持っていた楽器はすべて売り払った。尺八だけは両親の家に残したが。

苦しい日々が続いた。

彼よりもずっと下の世代のミュージシャンが注目されていた。

苦しい日々が続いた。

彼は30才になった。週末になると車で行ける距離内のリサイクルショップを巡回して漫画本を立ち読みしたり、絶版になった文庫本を探すことが唯一の楽しみだった。

ある日リサイクルショップに入ると楽器のコーナーにメキシコ製のテレキャスターが飾られていることに気づいた。翌日、彼は銀行で貯金をおろしてそのギターを買った。

この頃にはようやく音楽を聴くことができるようになっていた。レコード店やCDショップに行くことが増えた。職場の同僚に誘われてカラオケに行っても楽しめるようになっていた。

こうして再びギターを手にするようになった。自分の手から音楽が産み落とされる喜びをまだ彼は憶えていた。その後はクラシックギターを真剣に練習した時期もあったし、20代の頃から遠目で見ていたソロギターの演奏に本格的に取り組んだこともあった。

彼は、音楽に関してはまったくの独学だった。商店街のしょぼい楽器店の音楽教室に通ったこともなければ、知り合いのバンドやってる兄ちゃんにギターの弾き方を教えてもらったことすらなかった。

彼の周辺にはバンドマンや、セミプロのような活動をしているシンガーソングライターの知人が多かったが、彼自身はだれかと一緒に音楽を作ることに興味がなかった。だれかのために音楽を演奏する気にもならなかった。ごく親しい友人を除けば、楽器を演奏していることも明かさなかった。

彼にとって音楽とは、楽器を演奏することは孤独な喜びだった。

2019年、彼は40代無職となった現在も住んでいる、とある地方都市の狭いアパートに流れ着いた。

クリスマスの時期だったと思う、彼はCDコレクションの一部を処分しようと思って近所のレコード店に向かった。あいにく休業日だった。

CDがぎっしり詰まった鞄は重い。その時たまたま、近くにレコード店がもうひとつあると以前に人から聞いたことを彼は思い出した。

見たことがないくらい小さな、狭い店だった。レジカウンターのほかはレコードがぎっしり詰まったダンボール箱が4畳半ほどの店内に大量に積み重ねられているだけだった。

彼の父親と同じくらいの年齢の店主がいた。

充実した時間だった。

初対面にも関わらず、2人は意気投合した。
4時間近くも話し込んで、彼は店を出た。

悪そうな若者たちが道ばたに座り込んでいた。夜だった。彼が歩いていると後方から呼び止められた。だれか走る音。振り返るとあの店主だった。

まだ若いうちに、やりたいことは何でもやればいい、と店主は言った。
それだけ言いたかった、と。

彼にそのことを伝えるためだけに店主は走って追いかけてきたのだった。
店のカウンターに作りかけのカップラーメンを残したまま。

今でも彼は思い出す。そして不可解なことがある。
4時間の会話の中で、彼は楽器を演奏すること、あまつさえ若き日に尺八奏者として活動していたことを明かさなかった。店主にとって彼は、いきなり来店したノイズミュージックなどの変わった音楽が好きな客の一人でしかなかったはずだが。

それからは月に2〜3回、彼は店を訪ねては店主と話し込み、レコードを1〜2枚買って帰るようになった。
あいかわらず彼は自分が楽器を演奏することを明かさなかったが、やがて思うようになった。

この、自分より遥かに音楽的造詣の深い店主に自分の音楽を聴かせたら、どのような反応をするだろうか、と。

若き日の彼は即興演奏に人生のすべてを懸けていたので、作曲というものをしたことがなかった。彼の世代では、既にパソコンのDAWソフトで音楽制作することが当たり前になっていたが、彼は一度も触ったことがなかった。

ただ会社員としての仕事を通して彼はパソコンに強くなっていた。そのため自分のパソコンにも無料のDAWを導入して、曲らしきものを作り始めた。

かろうじて完成した1曲を、彼はスマートフォンに取り込むと走ってレコード店に向かい、意気揚々と店主に聴かせた。自分が作ったとは言わずに。
これ聴いてどう思いますか? と。

悪くない、と店主は言った。ただミックスとマスタリングが全然ダメだ。

(彼は現在もミックスとマスタリング作業に苦手意識がある)

彼の目には、店主は笑っているように見えた。

やりたいことが見つかったようで嬉しい、と店主は言った。

彼は休日になるとギターを抱えてパソコンの前に座り、音楽制作に取り組むようになった。制作は難航した。それでも諦める気はなかった。いくつか曲らしきものはできたが、客観的にみて、そして多少の過大評価をするのならば、それらの楽曲は「作り手の個性は伝わるが何度でも聴きたいとは思わない音楽」でしかなかった。

店主に2曲目を聴かせることは叶わなかった。

脳出血で倒れたからだった。

彼の音楽は、ただ一人の人間のために作ったものだった。

彼の音楽は、行き場をなくしてしまった。

(つづく)


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