JUNKHEADは松茸の味がするお吸い物か
話題の映画、JUNKHEADをみてきました。何が話題かと言うと
監督・原案・キャラクターデザイン・編集・撮影・証明・音楽を掘貴秀氏がほぼすべて担当し7年かけて作ったストップモーションアニメであることが話題なのです。
遠い地底、遠い未来、近い不安
舞台は1600年後の未来、人類はものすごい長寿になった代わりに生殖機能を失います。その人類をさらにウィルスの流行が襲います。(ちなみにこの作品が完成したのは2017年です。)
このように有性生殖を失い、無駄に長寿になったせいで死への恐怖が余計に強くなった人類。技術に依存し、自分では何も解決できない人類は滅亡の危機を迎えます。
そんな折、地底に生息する生物である「マリガン」に生殖を取り戻すヒントを見いだした未来人は地底の調査を始めます。主人公である未来人のパートンはその調査に志願しますが作品冒頭でパトロール中の地底人にロケランで撃たれ頭だけになってしまいます。
しかしキモいことに、未来人は頭だけでも生きられるらしく、パートンの頭を拾った地底人の博士はパートンの頭を機械の体に移植します。
地底人には地底人のふるさとがあるという
何も持たず記憶も失ってしまったパートンは博士の仲間である2.5頭身の地底人「3バカ兄弟」の雑用についていきます。地底世界は蟻の巣のごとく複雑に通路が張り巡らされて不気味です。しかし電気は通っているため電灯がきちんと暗い通路を照らしてくれています。(この暗い通路を電灯が照らしてるセットもよく作られていておもしろい)
しかし地底人の手の届かない区画はもちろん暗く、そんな不気味なスポットには目が無いモンスターのような地底生物が住み着いています。
ただJUNKHEADの世界ではそれら地底生物は単なる不気味な外敵ではなく、確かにそこに息づいている生物として存在しています。詳しく書きすぎるとネタバレになりますが、JUNKHEADはこのように話のプロットライン以外のところでも世界の広がりを見せています。
アンストッパブルモーション
地底には1.人類に近い地底人と2.地底のモンスターが住み着いていることがわかりました。主人公パートンは1と交流しながらも2から逃げながら目的である「マリガン」という生物を探します。やはり地下のダンジョンにはモンスターがつきもので、パートン君は何度も2から追われ、その度に逃げたり反撃したりします。そしてJUNKHEADはストップモーションでありながらこれらのアクションシーンが非常に魅力的です。
NHK教育などでやってるクレイアニメを見てるとストップモーションは斜め上からの視点か真横からの視点か、いずれにしよカメラは定点でキャラクターを動かすカットが多いと思います。粘土なり人形なりをコマ撮りする場合、カメラを固定した方が動かし易いのはよくわかります。しかしJUNKHEADはそこで妥協はしませんでした。10秒にも満たない逃走シーンでも何度もカメラ視点が切り替わります。作中曲も同様に数秒流れてはすぐ別の曲に切り替わったりします。文章だけで書くと慌ただしいように聞こえますが、これが違和感を感じさせない自然さで行われているんです。
このような演出の妙が出来上がってるのはやはり掘さんが一人で長い歳月をかけて、音楽や撮影も独力で作り上げた試行錯誤の結果だとおもいます。撮影や音楽や証明などのすべての演出が有機的に補いあって没入感のあるアクションシーンが出来上がってます。
公式サイトhttps://gaga.ne.jp/junkhead/
から引用させて貰うと、メタルギアの小島さんも
『ほぼ一人だから産み出せる唯一無二の作品がある』とおっしゃってます。
それぞれのプロフェッショナルの撮影技術や作曲センスがぶつかり合う作品も素晴らしいですが、このJUNKHEADの「演出どうしが補いあってる感覚」はまさに唯一無二だと思います。
口は目と毛ほどにものを言う
実写映画と違い、演者が人間ではないアニメーション作品においては、キャラクターの感情をどう表現するかは創意工夫が求められると思います。
トムとジェリー、ジブリをはじめとして多くのアニメや漫画ではキャラクターの感情や動作表現には体の中でも最も動きのある「目」と「毛」がよく使われると思います。
JUNKHEADの登場キャラクターはロボットや地底人やモンスターなので、ほとんどのキャラクターには目がないか、あるいは白目の無い黒目しかありません。また、残念なことに地底の環境では体毛もいらないので、ほとんどのキャラクターはツルっぱげです。
それでもJUNKHEADの登場人物は喜怒哀楽はもとより「焦り」や「憂い」や「企み」や「恥じらい」など多彩な感情を表してくれます。JUNKHEADの多くのキャラクターは「口の形」や「体の角度や動作」によってこれらの感情が表現します。例として適切かはわかりませんが犬や猫や鳥などと長年関わっていると彼らの感情表現がよくわかるようになると思います。その感じでミステリアスな地底の住人たちにも愛着が沸いてしまいますね。
地上も地底も見る夢は同じか
作品の演出に一貫して言えることは「足りないものをどう補うか」という工夫です。独力では手の回らないことが多いはず、ストップモーションでは難しい表現が多いはずです。なんですが、その「欠乏」や「不便」を一旦受け入れた上で工夫や試行錯誤によってそれを逆にこの作品に独特すぎる魅力にしています。
この作品の未来人は「不老長寿」を目指したが故に、無菌室に引きこもり肉体を捨て「便利な生活」をしています。
主人公パートンの言葉を借りるならその「生の実感のない世界」で自分達は「勝者である」と思い込んでる「弱者」がこの作品の未来人です。
一方でかつて人類に地底に追いやられた地底人たちは不便で危険な暗い穴蔵に電気を通しその環境と戦いながら自分たちは何者であるのか考えそして「夢」を持ちます。
やはり今このタイミングでこのような作品が公開されたことに、何かしらの意味を感じてしまうのは僕だけではないでしょう。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?