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能動的に生きるバイタリティが復活してきたかの検証

先日アトちゃんとカラオケに行った。9時間歌いっぱなしで楽しかった。元気になったかに見えた。あれから数日、相変わらず何もやる気が起きずゴロゴロしている。やる気が起きないというのは誰にでも起こりうる事象だと思うが、やる気が出なさすぎて筋肉に力が入らず起き上がれないという現象については如何だろうか。

ハローワークに回診に来てくれるドクターと2時間ほど面談した際に僕は「物事の構造や全体像を把握する能力が高すぎて全てが馬鹿らしく思えてしまう」と指摘された。これは本当にそうだなあと思うし、それを2時間足らずで見抜いてしまうドクターはすごいなと思った。どうでもいいくだらない世の中だけど、その中に何か一つ好きなものができて、そのために生きる活力を得られる人生が良かった。西村博之氏は「子供にはバカに育ってほしい。その方が幸せになれるから」と言っていた。自分の子供にはどうだかわからないけど、僕はもっとバカに育ちたかった。

野心とか向上心とか、そういった類のものはちょうど一年前に全て失った。あれから僕はもぬけの殻だ。大切なものができたからがんばっていたけれど、今は大切なものを作るためにがんばらなければならない状況に陥っている。目的と手段が逆転していてつらい。津波が来たら死に物狂いで逃げようと力を使えるだろうけど、僕はすでに高台にいて「何で今から津波の方に向かわなきゃいけないの?」という気持ちなのだ。

結局のところ日内変動で一瞬何か力が湧いてくるような気がしていたのは錯覚で、脳はひたすら眠るようにけしかけてくる。楽しいイベントを何も知らずに生きてきたわけじゃあるまいに、そのために奮闘しようと思えない。そんな物臭加減をSNSで吐露しても誰も助けてはくれない。普段から攻撃的で敵を作ってばかりなので人徳がないのは当たり前。世の中は確かにくだらないんだけど、システムは出来上がっている。その中ですり寄れる偶像を持てるのは幸せなのだ。

タイトルを書いていた時が一番元気だった。

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