ありのままに見る、尊敬
「ありのままに見る」とはどういうことでしょうか?
アドラーは、それを「尊敬」だと言っています。
しかし、ありのままに見ることはとても難しいです。人の「全て」を知ることは不可能と言えますよね。人を見た時に見える部分は、その人のほんの一部です。さらに言えば、私といる時だけのその人でもあります。
それを踏まえて、「ありのままに見る」という態度をもう一度考えてみると、それは「知らない部分もある」「全体のほんの一部なんだ」と認識することも含まっているのだと思います。そして、それを理解することも尊敬の態度であると思います。
ここで、自分自身についても考えてみたいのです。
自己肯定ではなく、自己受容について。
自己肯定は、ないのにある、できないのにできると言わば嘘をついている状態です。それに対して、自己受容は自分自身をありのままに見ることです。ありのままに見るということは、つまり…自分を尊敬していると言えます。
そして、ありのままに見るということは、先に見たように「知らない部分もある」「全体のほんの一部なんだ」と自覚することです。私には自分にもわからない部分があるということを理解することは、自分自身への尊敬でもあるのです。
ソクラテスは、「無知の自覚」が真の知へと至る第一歩であるとしましたが、無知の自覚は知の道だけでなく、自己受容であり、自身への尊敬でもあると言えそうです。
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