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起業はツラいよ日記 #74
お酒を飲まなくなった。ほぼの一滴も。飲み屋街に近づくことすら身体が拒否するようになった。
心身不調により会社を休職してからというもの、そもそも服用する薬との相性も悪いのでお酒を飲んではいけないのだが、飲みたいという気持ちにもならないのでお酒は自然とわたしから遠い遠い存在となっていった。
しかし、この間飲んでしまう。
最近少しずつではあるが外部の仕事をするようになった。本業(白蝶社)の儲けが芳しくないので少しでも収入を安定させるためアルバイトをしている。
朝電車に乗り会社に行き、仕事を終えて夕方帰宅するという ごくごく普通の人が当たり前にやっていることを再開してみた。まずは週に一日だけ。それなのに、その働いた一日はどっと疲れてしまう。その疲れを癒せるかは分からないものの、過去に蓄積した習慣が抜けきっていないのか帰り道すがらコンビニで缶ビールを買ってしまう。
広告会社で働いていた頃は某ビール会社の担当をしていたこともあるし、新しい商品が出たら「どれどれどんな味かな?」と思って購入するくらい興味関心も高かった。
もともとお酒は好きなほうだったと思う。以前、日記のどこかで「飲酒していたのはストレスのせいだ」と書いた。紆余曲折色々な経験をして知ったのは「わたしはストレス耐性が極めて低いかもしれない」ということ。自分の名誉のために補足すると、なんでもかんでも直ぐに投げ出してしまうのではなく「自分が興味のないことを強制される」ことに強いストレスを感じてしまい、そういう類のことへの耐性はからっきしであるということだ。
でも、程度の差はあれみんなそうだと思う。わたしだけが特別ではない、そんなことは分かっている。
それに これは新しく始めた仕事がツマラナイということでは決してない。そもそも組織に雇われて働くというのはきっと、多かれ少なかれ、誰にでも(どんなに強い人へも弱い人へも)ストレスを与えるであろうということだ。もはや仕組みに難ありなのである。
そんなわたしは お酒を飲んでしまった翌日は顔がむくんでしまう。体質なのだろうか。全く飲んでいない日々を知っているので その体調の変化に敏感になってしまう。わたしの場合、目の下のクマがひどくなる。腫れぼったくなっている。その顔が、父親そっくりなのだ。
親にそっくりだと言われて喜ぶ?悲しむ?
わたしの場合は後者かもしれない。美男子でないからとかそういう外見的なものではなく、内面的なものだ。
わたしの父親は少し酒癖が悪かった。その姿を思い出すとどうしても父への想いというのは複雑になる。一人暮らしを始めた大学生の頃からだろうか、実家に帰るたびに周囲の人たちが言う「お父さんそっくりになったねぇ」。そう放たれる言葉に毎回どんな顔をしていいか困る。感情が顔に出ていたかもしれない。
昭和のサラリーマン
父は会社員として定年まで一社で勤め上げた。本当に凄いと思っている。わたしには出来なかったことだ。もはやその点で父を超えることはできない。だが、そのストレスたるや想像を絶するものだったのだと思う。だから毎日お酒を飲まずにはいられなかったのだろう。
子どもの頃とても嫌だったことがある。父はお酒を飲んで寝てしまうのだが、テーブルに酒が残ったグラスが放置されている。零してしまっては不味いのでそれをキッチンのシンクに片付けることだ。何度か寝ている父がそれを零してしまうことがあり、テーブルや床にお酒が広がってしまったのを嫌々拭いていたのがわたしだった。そんな事態を避けるため 零す前に片付けてしまおうと子どもながらに工夫をした結果の行動である。シンクにお酒を流すときのあの不快な臭いはいま思い出しても気分が悪い。
その父が今年年始めに七三歳で亡くなった。この時代にしては若い最後だったと思う。だって わたしは七十歳まで現役で働き続けるにはどうすべきか?と考えたうえで会社員を辞めて起業したのだ。だからもっと長生きするつもりでいたし、父もまだまだ長生きするものだと思っていた。苦労して定年まで勤めたのだ。もう少し長生きしてくれても良かったろうに。
真新しい文藝春秋
そんな父はとても本が好きな人だった。『歴史読本』や『文藝春秋』を定期購読していたし結構家に本があった。暇さえあれば図書館に行っていた。子どもながらに難しそうな本ばかり読んでいるなぁと思っていた記憶がある。
葬儀あとの形見分けの際に母が『文藝春秋』を指して「一冊持っていく?」と聞いてきたのだが「いいや、また来るし。置いといて。」と伝えた。父の最後は病院のベッドなのだったが、最後の最後まで「文藝春秋の新しいやつ買ってきて」と言っていたそうだ。買ってきたばかりの真新しい『文藝春秋』はついぞ読まれることなく父は息を引き取った。
息子と父の関係は難しい。父に対しては尊敬している部分と、どうしても受け入れられない部分がある。会社で溜め込むストレスをお酒で打ちやりながら、何十年と働き続けた父はすごい。だが一方で 決して強い人ではなかったのだと思う。わたしが強い人ではないように。その意味でわたしは父とそっくりなのかもしれない。
飲酒した翌朝、洗面台の鏡の前にいるのはわたしであり父なのだ。寝起きでまだ思考もぼやけていると、本当に父なのではないかと思うことがある。わたしが今こうして出版社を経営していることを父はどう思うだろうか。わたしが本好きなのは父の影響なのだろうか。お盆に里帰りし、父の墓前でそんなことを思い出した。
誰かに迷惑をかけたとしても、それと同じだけ良いこともしている。プラスマイナスゼロ。だけど、きっとこの先はプラスが増えていくだろう。わたしのこの先の人生は父に感謝していくことの方が多いだろうから。
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