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起業はツラいよ日記 #17

わたしは吉祥寺という街が好きである。

今年の4月まで吉祥寺PARCO8階にあるコワーキングスペースSkiimaに入居していたのだが、資金的な問題もあって一旦退去した。吉祥寺に通う回数が週に4回くらいから2回くらいに減ってしまったが、それでも吉祥寺は好きな街である。ちなみに、平日の適度に人がいて歩きやすい吉祥寺が特に好きだ。

そんな吉祥寺には好きな本屋さんがたくさんあって、定期購読でお世話になっている新刊書店の『BOOKSルーエ』さんや、古本屋さんも多い。古本屋さんの中では『百年』(百年は新刊も扱っている)が特に好きである。今月開催された文学フリマ東京にブース出店されていて、勿論購入した。

文学フリマにて購入した『百年の一日』

いま読んでいる途中なのだが、印象的な一節があったので引用してご紹介したい。

余談だが、予想外にいい奴が多かったんだ。いっぱい助けてもらった。たぶん、「no music no life」のTシャツを着ていたおかげだと思う。街中で、レストランで、美術館で、本屋で、「that's true」と言われたから。

『百年の一日』P.76より引用

この一節を読んで嬉しかった。なぜ嬉しかったかというと、「no music no life」は広告制作者である箭内道彦氏と木村透氏が作ったものだからだ。このコピーがタワーレコードのものであるということや、日本発のものであることは意外と知らない人も多いのではないか。でもそれでいいと思う。広告がそこまで浸透したということに価値がある。

このコピーについて調べていくと「no」を2回繰り返すことで強い肯定感が生まれるとか、当時の企業ブランディングの傾向に対するアンチテーゼとか、テクニック的なことや制作思想とか語るべきことは多いのである。しかし、繰り返しになるが、わたしが重要だと思うことはこのコピーが日本を離れたニューヨークという土地でコミュニケーションの媒介となり、そしてそのエピソードが時を経て語られることでまた誰かに繋がっていく、その根本に広告があったということなのだ。

広告は邪魔だし、ウザいし、見たくないし、嫌われ者なのだ。それでいいと思う。もともと広告というは急に目に飛び込んでくる暴力的な存在である。嫌われることは致し方ない。しかし、最近は「嫌い」というのを飛び越えて、強く否定されるような語り口を目にすることが多い。特に女性の表象で問題化することが多い。

広告が多くの問題を抱えていることは否めない。

しかし、文化や人々の生活に少なくない影響も与えていることも事実である。悪い影響ばかりではなく、良い影響も与えているだろう。いまは、悪い影響ばかりに目線が誘導されてしまい、広告にとってはネガティブな状況が続いている。

わたしとしては、少しでも良い影響の方にも人々の目線を持っていきたいと思う。広告制作者への応援・エールであるとともに、広告制作者と広告を目にする人々との橋渡しだ。それができていたのが過去の『広告批評』(マドラ出版)であり、わたしが『シン・広告批評』で実現したいことなのである。

広告も意外と良いものですよ。どんどん伝えていきたい。

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