確かに得られたものは、やりきったという事実(30/30)
1ヶ月毎日note更新をしようと決めて、これが30個目の更新。
ひとまず、この記事を一区切りにする。
単なるオタクの出来心。
自分でも正直出来るのかなって疑問あったし、
そもそもやることになんか意味あるのかな?って思いながらのスタート。
30日続けてみて・・・
30日noteを毎日更新して実際に何か得るものがあったのか?と言われると、
正直、これといった何か大きなものが得られたわけではない。
自分への気付きみたいものは得られた。
文章へ書くハードルはやや下がった。
書くハードルは多少下がったとはいえ、
特段文章が上手くなったかと言われるとそうでもないと思う。
ただ、「30日間、毎日書いた」って事実は残った。
この事実だけは揺るぎなくて、唯一の確かに得られたもので、
それ以上でも、それ以下でもないのかもしれない。
なんで続けられたのか?
なんで今回、30日続けられたのかな?って振り返る。
理由①:とりあえず「30日毎日やる」ことを第一目標にしたこと
意義は?とか理由は?とかそんなことをとやかく考えずに、
とりあえず、どんな下手で読み返すのも恥ずかしい記事でも「毎日更新」を第一の目標においていた。
「やる」と決めて「やる」。
育休明けに時間短縮勤務で働くと決めた時に似ているかも。
30分早く帰るしか、迎えに間に合う方法がないので、
「出来るかな」ではなく、「やる」しかなかった。
「やる」しかないって決めると、
それを「やる」ためにどうするかを考えて、行動するようになる。
特段いい方法でないと思っていたけれど、
「なんでそれをするのか?」とかそういうのを考えずに、
なんかやりたい、とりあえずやろうってしたのが今回は功を奏したのかもしれない。
あと、具体的な数字や頻度にしたのもよかったのかなって。
出来たか出来てないのかわかりやすく言い訳できない。
「やった」「やってない」が一目瞭然。
理由②:自分にがっかりしたくなかった
文字にするとなんか暗い!
常にというわけではないけれど、時々、すっごい自分に対して落ち込むというか、
自分って何もないなぁ、中途半端だなぁとかそういうふうに思うことが多くて。
周りの人たちがすっごいちゃんと日々を過ごしていて、
それに比べて自分は・・・みたいに落ち込むことがままある。
実際に、みんな色々あって、自分が見えている部分はあくまでその人の一部でしかないし、
自分だって、毎日色々やってるやんって思える日もあるのですが、
特に、ここ最近は自分の「出来てない」に目が向くときが多かった。
そんなとき、半ば勢いで、「note毎日更新」って始めて、
「あーこれ、出来なかったら自分やっぱりダメなやつって落ち込むなぁ」って。
そこでがっかりする自分に出会いたくなかったんですよね。
人のやる気とかエンジンって、
「やりたい!」とか「好き!」みたいなポジティブなものを指すことが多い。
でも、逆に、
こういう「こうなったら嫌だ」とかそういうネガティブなものも人を動かす原動力になったりもする。
それが今回はいい具合に働いたのかなって。
今後のこと
毎日書くのはやっぱりちょっと負担…なのと、書くことに追われて、
インプット、学びの時間が取れないので毎日更新は一旦終了に。
でも、せっかく書く習慣がついてきたので、これを手放したくない。
今回のことを活かして、年始に立てた「週に1回」更新っていうふんわりしたものよりも
もうちょっと具体的な目標の方が良いかもって思ったので、
今後は「木・日は必ず更新」でやっていこうと思います。
「書く」が自分の柱の一本になったらいいな。
具体的にどんな形か見えているわけではないし、
今の自分の文章のクオリティでこんなことをいうのはちょっと恥ずかしいけど。
そうなりたいから、まずは「書く」「書いた」という行動を積み重ねていく。
「行動すること」でしか未来は創られないのだからね。
いつか、この記事が恥ずかしくないものになったら嬉しい。