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エヴァンゲリオンの何が好きって?不親切なところ。

決してマゾヒストというわけではない。


エヴァとの出会い

ついにnoteでエヴァに触れる日が来た。
僕の人格形成に多大なる影響を与えた作品であり、身体の70%は水でできているが、残り30%はエヴァでできていると言っても過言では無い(過言である)。

2008年、僕は、中学2年生のころにエヴァに出会った。

姉がヒーリーズを通販で購入したことで、何ヶ月かに一回、我が家には通販カタログが届くようになった。

ここでヒーリーズについて流石に解説が必要そうである。
やたらとエモいブログを発見したので拝借する。wikiは存外味気なかった。

そのカタログにはアニメのフィギュアページがあった。
殊更釘付けになったのが、Creator's Labシリーズ 山下しゅんや×吉沢光正の「綾波レイ」フィギュアであった。

写真は復刻版

セクシーな造形に惹かれたのはまあそうなのだが。
この少女は何者か、この包帯は何なのか、何かのスーツ?は何のためのものか・・
気になってどうしようもなく、調べ出したのがきっかけである。

ちなみに、このデザインは原作のそれを大胆にアレンジしたものであり、原作には無い。

ちなみにちなみに、2万円と高価なフィギュアで当時は手が出なかったが、社会人初任給でヤフオクのプレ値を買った。
高くついたが、自分をエヴァの世界に誘ってくれたきっかけの作品である。

なぜ人はエヴァに惹かれるのか。

読者がエヴァを知っていることを前提にしてしまっていることにここで気付く。だ
がもう遅い。

新世紀エヴァンゲリオン 第一話 (c)カラー

魅力的なキャラクター、謎に満ちたストーリー、ロボットの造形(エヴァは人造人間であってロボットでは無い云々の苦情は受け付けていない)・・・

魅力は枚挙に遑がないが、この作品、とにかく不親切である。
作中の人物、特に主人公に不親切なのは言うまでもないのだが、
なんとメタ存在である視聴者に対してもとことん不親切である。

第一話から、とにかく専門用語を容赦なく浴びせてくる。
そしてそれらに対し何の補足も説明もない。
そして恐ろしいスピードで物語が展開していく。

文脈も想像力を要求してくる

この辺りはオタク気質に訴えかけてくるというか、「王立宇宙軍」の時点で既にこの手法は使われているある意味古典である。

言ってしまえば、専門用語は知っているか、知っていないかだけである。
ただ、この作品は大胆なシーンカットも多用しており、Aシーンから一気にCシーンに平気で移ったりする。
視聴中は一瞬置いていかれるのだが、後になって、「ああ多分、間にBのようなやりとりがあったのだろう」と脳内での補完を強いられる。

駆け抜けるか、歩み寄るか。

もっとも顕著だったのが、「エヴァンゲリヲン新劇場版:Q」であろう。

エヴァンゲリヲン新劇場版:Q (c)カラー

目が覚めたら14年後だと言うから驚きである。
14年間分シーンカットされてついていける者などいるはずもない。

不親切にも関わらず、序→破→Qと順調に興収を伸ばし、ファン層も拡大していった。完結作で最高の興収を達成したことから、より多くの人がこの作品を受け入れたのは間違いないだろう。

一方で完結作を見た時、数々のチーンに心震わせつつ、なんとなく「らしくなさ」を感じていた。
唐突にみんなが自分の頭の中を丁寧に説明してくれたり、ゲンドウの長語りは特にそれが顕著だ。
これまではファンの間で考察の域を出なかった数々の謎に対し、明確に答が与えられ始めたのである。

「突然全てを解説してくれるゲンドウ」シンエヴァンゲリオン劇場版(c)カラー

完結編であることを考えると自然とも思える。
すべての伏線を回収するのはコンテンツとして当然とも言える。
ただ、一度旧劇に心を壊されている古参はよくご存知と思うが、エヴァという作品において「謎」は伏線ではなく、回収が義務付けられていない。

普及、一般化、監督の苦悩。

シンエヴァ公開後、庵野監督がエヴァを完結させるまでのドキュメンタリー番組が放映された。

残念ながら、現在は配信が終了している。

全体通して大変興味深い内容であったが、特に興味深かったのが、シンエヴァの絵コンテをスタッフ全員に見てもらい、解釈を問う場面だ。
そこで、監督は多くの人間を置き去りにしてきたことを悟るのである。
そして、大幅な絵コンテ修正を施して、現在に至る。

真実は関係者のみぞ知るところだと思うが、
僕は、本当は、旧劇のように説明しすぎないテイストを貫きたかったのではないかと思っている。

終わらせること。謎を残すこと。面白くすること。


プロフェッショナル 仕事の流儀 NHK

ここからは妄想だが、旧劇のように謎を残し完結していたら、もっと面白かった・・いや、僕好みだったのではないかと思っている。

ただ、僕の心は今もエヴァに囚われたままになっただろうな、とも思う。

コピーである「さようなら全てのエヴァンゲリオン」を今の心持ちで受け入れられなかっただろう、と思ってしまうのである。

監督もまた、極限まで苦悩したのだと想像する。
面白さを何よりも優先するクリエイターであり、きっと、丁寧な説明は面白さを損なう要素と思っていたのではなかろうか。
ただ、エヴァを終わらせることにもただならぬ覚悟を持っていたはず。
そのジレンマの先にできた作品が「シン・エヴァンゲリオン劇場版」なのだ。

言い訳END

シンエヴァ公開時、世はコロナ禍であった。
僕はと言うと第一子がこの世に生を受けた時期で、コロナ怖さに外部との接触を徹底的に絶っていた。週5日リモートワークをしていたが、シンエヴァだけは公開日当日にみにいった。

そのままなんとなく、誰かと語ることなく、ここまで来てしまった。
誰かと語りたい衝動のまま筆を取ったので、オチは考えていない。

ただ、無理やり感ありありでオチをつけると、
僕の雑記もまた、エヴァンゲリオンの影響を多分に受けている。

これまでの記事をご覧いただいた方は既にお気づきの通り、
とんでもなく不親切である。

読者と前提知識を共有できている前提で語り出し、そのまま駆け抜けるスタイルである。
ただ、僕のコンテンツにはエヴァほど人を惹きつける力はないので、もう少し親切な説明を心がけていきたいと思う。

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