オタクがおたくに興味を持ったわけ
いま、2冊目の執筆に入っている。日本で初めてオタク専門の結婚相談所を開業し、『オタク婚活はじめます』(すばる舎)を上梓する、今年で52歳、なんとか生きている。なぜか?ふと「オタクを使って飯食ってる」と言っても過言ではない、オタクだからできたのか?おたくに興味があったからか?今でも疑問に思う
黒歴史を振り返る
私が運営している、オタク専門の結婚相談所でやっていることで、婚活ノートというものがあり「過去を振り返り」なぜ本が好きなのか?いつからオタクに目覚めたのか!などを「自分の長所を探す・調べる」という事をしていいる。私も、なぜ「オタクで生きているのか」過去の旅に出てみた。
ネクラという言葉を知っているか?
子どものころから、共働き、友達とはなじめず、家でテレビを見ていいたかWW2時代TAMIYAの戦車作ってたり、図書館から本を借りてきて読んだりしていた。その頃はオタクという単語がなく、根が暗い事から「ネクラ」と言われてた時代。
子どもながら、ネクラという語彙を「どんな人を表すのか?自分もそうなのか?」そのあいまいさを追求する人もいなくなった。何となくのノリで言葉だけが走り出してた感じがした
今ではありえない「ロリコンブーム」
中学時代になると、「くりーむれもん」というエロ漫画が流行り、ビデオ化もした。今では、考えられないが、巷では「ロリコンブーム」が起きており。作風も中高生が主人公の作品が増えてきた感じはあった。秋元康の「おニャン子クラブ」のこの時代、アイドル勢とアニメ勢と二分化してた時代である意味、オタク文化の基礎をつくった時代
中学ぐらいになると、オタク属性かでないかが分かれてくるのだが、当時はそんな感じがなかった。何に対しても興味を持ち、個人が勝手に取捨選択しえるような感じであった。
昭和の終わり、平成初期は、オタクは犯罪者と呼ばれてた
高校に入ったぐらいから、無線改造にハマり、某国の短波放送を聞きながら三才ブックスの「ラジオライフ」を呼んでいた頃、宮崎事件という事件が起きた。痛ましい事件なので詳しくは書かないが、そのころから「オタク」という言葉が出てくる。
当時、オタク=アニメ・マンガ・ゲーム好き=犯罪者という、構図ができてしまい、マンガ・アニメ・ゲーム好きは学校はよく「オタク対ヤンキー」で喧嘩が多く、喧嘩ができないオタクはいじめられるというオタク暗黒時代でもあった。昭和のオタクは武闘派が多いし、ヤンキーでもオタクは多かった
おたくのビデオ・おたくのオタクの本
時は、バブル経済どまんなか!そんなときに学校帰りで寄っていた「ビデオレンタル屋」でこんなDVDをみつける
ガイナックス制作の「おたくのビデオ」を観てからオタクに興味を持ちだす?
リア充主人公が嫌気を指しオタク落ちして、会社を興し大社長になるという話
当時としては、「そんなぁ、わけないやん」と思うが、今では、「よくある話になってしまった」これを観てから、自分はオタクだと認識しだした、作品でもある
同時期に本屋でこんな本をみつける、「おたくの本 (別冊宝島)」
この本を読んでからさらに私の「オタク属性の細分化」ができたと感じいる
たぶんこの「おたくのビデオ」「おたくの本」を読んでから、オタクがおたくに興味を持ったきっかけではなかろうか?と四半世紀たち、今考えている。
そういえば、私のサークルも「おたくの~
そーいえば、私がやっているコミケサークルも「おたくのこんかつ」である。サークル名を決めるとき カタカナで「オタク」じゃないんですか?と聞かれたときに 「いや!ひらがなだ!」と反論した話したことがある。当初は「ひらがなはやさしい響きになるから」と話していたが
たぶん潜在意識で 「おたくのビデオ」「おたくの本」があったからだと今思う。
高校卒業後、俗なオタクとして「ビデオレンタル屋」でバイトしながら、細々と生きていくんだが。39歳で失業し、オタクで仕事をするなんて思ってもいなかった。たぶん60歳までオタクで食っていくんだと思うようにもなってきた。なにがどう変わるかわからない、あのビデオ、本を読んだから今にいたるんではないかとおもう。
本は知らぬ間に人生を変える。