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『ルックバック』の修正について思ったことを書き殴ってみた

藤本タツキ先生の『ルックバック』の表現が修正された問題について、思うところを書き殴ってみる。

『ルックバック』を未読の方は以下から読んでほしい。まごうことなく傑作である。以下の文章は『ルックバック』本編に目を通してから読んでほしい。

Twitterで『ルックバック 修正』と検索をかけてみると、まあ賛否両論といった感じである。すさまじい数のツイートが流れてくるし、いちいち紹介しているとキリがないので、興味がある人は自分でTwitter検索してほしい。

① そもそもどんな修正が入ったのか

まずは修正箇所を見てみよう。

【修正前】

【修正後】



簡単に書くと、修正前の犯人は「病んでしまったクリエイターの成れの果て」であり、修正後の犯人は「そもそもクリエイター自体を認めない狂人」なのである。


② 仮に表現物がなんらかの社会的悪影響を孕んでいたとして、それを許容すべきなのかどうか。

これについては人によってさまざまなスタンスがあるだろう。

多くのオタクがとる意見が

「創作物はあくまで創作物。現実は現実。その区別をつけるのがリテラシーであり、創作物にケチをつける人間にはリテラシーがない」

という意見だろう。ぶっちゃけると、ぼくはこの立場をとっているし、なんなら

「仮に創作物が社会になんらかの悪影響を与えたとしても、それは許容されるべきである」

とすら考えている。

とはいえ、そうも言ってられないのが社会というもので、実際、今回のルックバックでは精神科医の斎藤環が以下の意見を述べている。

「ただし1点だけ。やむを得ないとは思うけれど通り魔の描写だけネガティブなステレオタイプ、つまりスティグマ的になっている。単行本化に際してはご配慮いただければ。」
そんなことまでうるさく言い出したら作品なんか作れない、という意見には賛同できない。映画に関して言えば、いまやほとんどの作品が精神障害者を含むマイノリティへの偏見描写抜きで魅力的な悪を描き、理不尽な暴力を描こうとしている。PC (Political Correctness 政治的正しさ)が過ぎればフィクションが貧しくなると言う説にもくみしない。
事件であれフィクションであれ「理不尽な悪」を見てしまった人は、その原因や背景を想像せずにはいられない。無根拠な悪が一番恐ろしいからだ。人は悪に根拠を求め、例えばその悪が意味不明な言葉を呟いていれば、狂気すなわち精神障害という属性を想定してしまうだろう。人によっては「気違いに刃物」といった、こちらもひどく差別的な常套句を思い浮かべ、「そういえばアタマのおかしいやつが通り魔で人を何人も殺したのに無罪放免になったんだっけ」などの偽記憶が喚起される。実際には、そのような事件は起きていないし、上に述べたような理由で、今後もますます起こりにくくなっているにもかかわらず。残念ながら現代のメディア環境は、こうしたステレオタイプを訂正するよりは強化するような刺激に満ちている、と個人的には思う。

これについてはスタンスの違いもあるので、なかなか難しい。個人的には、昨今のポリコレ仕草にはいい加減ウンザリしているところもあり、「なにがポリコレだよバカ野郎」と思わなくもないが、いったんは斎藤環の意見を受け入れてみよう。

つまり、『ルックバック』のような傑作はスティグマに与するべきではない、という意見だ。
ここで一つの疑問がわいてくる。

『ルックバック』の修正は、果たして統合失調症へのステレオタイプを訂正するにいたったのか?

③ 『ルックバック』の修正は、果たして統合失調症へのステレオタイプを訂正するにいたったのか?

もう一度、修正前後を見比べてみよう。

【修正前】

【修正後】 

この二つの描写を見比べた際に、どちらが統合失調症の患者に近いセリフだと言えるだろうか。

正直な話、どちらでもないと思う。

『ルックバック』を読んで京アニ事件を想起した人間にとって、もしかしたらある程度は配慮された修正になっているのかもしれない。

ただ、逆にいうとそれだけだ。

京アニ事件を想起した人間への配慮にはなっているが、修正前と修正後で統合失調症への配慮がなされたとは到底思えない。


④ ジャンプ+編集部は『ルックバック』の修正について、どのような説明を行ったのか。

いちばん個人的に腹が立っているのが「ジャンプ+」編集部の対応だ。
これについては該当ツイートを見てもらうのが一番早い。


また以下のニュースが流れてきた。

編集部はツイッターで、「作品内に不適切な表現があるとの指摘を読者の方からいただきました。熟慮の結果、作中の描写が偏見や差別の助長につながることは避けたいと考え、一部修正しました」と公表。
集英社広報部によると、「作者側から修正したいと申し出があり、編集部と協議の上で決定した」という。修正部分や理由については「説明することで偏見や差別を助長する恐れがあるため、回答を差し控える」とした。


前述の通り、ぼくは「作品内に仮に社会的悪影響を孕む描写があったとしても、創作物である以上はそれを許容すべきである」という、ある種の「表現の自由原理主義」ともいえるスタンスをとっている。

ただ一方で、実際に作品を世に問う出版社の人間からしたら、そうも言ってられないケースもあるだろうし、「たとえ創作物であったとしても、一定以上の社会的悪影響を孕む描写は望ましくない」というスタンスの人間がいることは理解できる。

しかし、そういったスタンスをとる以上、ひとたび作品を世に問うた以上は、「何処がどのように問題だったのか」「なぜ一度はゴーサインを出したのか」について、きちんと説明するのが作家と作品を守る編集部の通すべき筋であり、仕事なんじゃないだろうか。仮にそれが作家からの自主的な撤回であったとしても、同じだ。

少なくともこんなツイートひとつ、釈明ページひとつ掲載して「はい、わかりました」となる話ではない。

日本を代表する漫画の編集部がこういった、うがった見方をすれば「少数のクレーマーがうるさいんで直しました」とも解釈されかねない行動をとるべきではない。

「説明することで偏見や差別を助長する恐れがあるため、回答を差し控える」という回答はなんの答えにもなっていないし、それこそが統合失調症の人たちへの分断を生むことにもつながりかねないのではないだろうか。

「ジャンプ+」編集部は本件に際してきちんと見解を述べるべきだ。それが読者への、なにより『ルックバック』という素晴らしい作品を世に届けたタツキ先生への誠意だと思う。

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