刺激が欲しい
いい加減地震とか勘弁して欲しい。緊急地震速報によって夜中に目は覚めるし物は倒れるし。うちは絶対的に大丈夫な地域ではあるが津波ももうこりごりだ。
地球上にいる限り安全な場所なんて存在しないんだとよく想像してしまう。地震が起きた時、命を最優先で守るなら屋内では机の下に隠れるが、屋根が落ちてきたり火事が起きれば終わりだ。かと言って外に出ても地割れが起きたら終わりだ。水中はもちろん津波が起きるだろうし、息が出来ないので終わりだ。なら空中にいればいい!と思ったバカはお前か?雷くらって終わりだよ。もう地球上に逃げ場なんてないの。一生脅えて暮らすしかないの。
そうは言っても地震やらの災害に脅えているタイプではない。「地震だるいなぁ」、「これによって被害を受ける人がいないといいなぁ」とか思うぐらいに余裕は持っているつもりだ。こういった余裕を持てるのも、根底に「いつ死んでもいいや」という気持ちがあるからだろう。こう言うと、正義ぶった奴に「そんなん極論じゃん」とか「そういうスタンスの人嫌だわ」みたいに言われるが、妄りにそう言っているのではない。考え続けているといずれ辿り着くだろう。なにも考えずに生きていられるほどバカじゃない。
不謹慎な話ではあるが、11年前のような非日常がまた訪れるのではないかと期待してしまった。普段の生活だけでは刺激が足りないというか、ふとした時に起こるイレギュラーが好きだ。思い通りに行かないぐらいの方が楽しい。コロナだって今は鬱陶しいが流行り始めの頃は、世界的な疫病の蔓延だなんてイカし過ぎだとか思っていた。つい最近は戦争も勃発し、世間の人々の反応に比べると明らかにぼくのテンションは上がっていた。
日本に産まれてよかったと思っている。なんせこの国は地震大国であり、イレギュラーのオンパレードだ。それによって学校では避難訓練なんかも実施され、その時間はいつもの授業とは違った時間を過ごせる。ただただ毎日同じような平和な日常を過ごすというのも、ほのぼのとした日常アニメが好きなぼくからすればまた良いものに思えるが、やはり刺激が欲しい。
今までは『刺激が欲しい』と求めるだけだったが、自ら得られるものなのだとようやく気が付いた。思い返してみれば、高校時代も駅から学校までの最短ルートは先輩という名の先駆者達によって開拓されていた。入学当初はそのルートを通って帰っていたが、一人で帰る時などに気分転換で、存在意義を疑うような小道を通ってみたり、割とデカめの公園で1人ブランコに揺られたりしていたのだ。基本的に真面目な生徒ではあったが、たまーに表れる反骨精神によって1限目をサボってみたり、ああいった楽しさは自分で掴めるものだったのだ。
疫病でも核でも自然災害でもなんでもいいが、さっさと人類を滅亡させて欲しい。一体、我々はなんのために生きるのだ。