COME BACK MY GOD
幼い頃は自分の意思に忠実に生きてきた。したいことをしたい時にし、食べたいものを食べたい時に食べる。そんな自由さを今は失ってしまった。"自由"と"勝手"は似て非なるものであると言われがちだが、こうやって言われているからか、"勝手"に悪いイメージを抱いてしまっているものの、自分"勝手"に生きるってのはかっこいい。だが、"自由"に生きるって方がもっとかっこいい。まぁなんだっていいんだけどね。好きに生きてればそれだけでかっこいい。
あの頃は自分が世界の中心だった。自分の目に映るものだけを信じ、それ以外を想像することもなく生きていた。生憎人間とは成長してしまうものだ。それに伴い、他人の感情や意思も自身の行動を左右する材料の1つとしてしまう。「人間がもっとバカだったならこんなこと考えずに楽に生きられただろうに。」とか考えてしまうが、つまりは賢くなっているのだから別にいいか。
自分の行動を決めるのは自分であり、自分が世界の中心。つまりあの頃のぼくの神はぼく自身だったのだ。賢くなってしまったが故に失念してしまっていた。だが、己を神と呼称することは賢い奴らに"勝手"に分類されてしまうだろう。
そのため、ぼくの全ての思考や行動を正当化するべく宗教を立ち上げることにした。その名も『Happyなboys&girlsになろう教』だ。主な教えとしては、ぼくが認めたことはなんだってしていいって感じ。認めたことと言っても、教典には「なんでも君の気分で好きにしな。」って書いとくつもりだからそんな固く考えなくていいよ。でも不安な時はぼくに「明日って学校休むべきですよね?」って聞いてくれればテキトーなこと言ってそれを正当化させてあげるから。どんなことでも教祖であり神であるぼくに任せな。教えを乞うてくれれば日々柔軟に教典が進化し続けるというイノベーション宗教だよ。中卒、黒人、障害者、女性、どんな人間でも受け入れてるよ。ぼくは何者も拒まないよ。
まぁ要は、ぼくは好きに生きるって決めたの。