ドM爆誕
3月11日
気だるさとともに目が覚めた。あの頃は親父が朝早いうちに出勤していたため両親ともに起きていた。具合が悪いことを母親に伝え、熱を測りながらふと見たニュース番組で"飛びます飛びますの人"の訃報が流れていた。彼の最も活躍したであろう世代を生きたわけではないぼくだが、小学2年生ながらに彼の偉大さは理解していたつもりだ。
その日はほとんどの時間を家の中で過ごした。今みたいにスマホやタブレットでYouTubeを見ることもなく、ダラダラとゲームをしながら過ごした。普段は学校に行きたくないと思っていたぼくだが、いざ休むとなると退屈で仕方がないものだ。DSでポケモンをやったり飽きたらテレビを見たりと遊惰な過ごし方をしていた。
そんな時に地震は起こった。当時、生後半年ほどの弟と共にこたつの中に母親に放り込まれた。収まることのない地震を他所に弟は泣きじゃくる。母親は食器棚やテレビが倒れないようおさえることで必死だ。今ならばぼくが弟をあやすなり、テレビをおさえておくなりなんだって出来るが、あの頃のぼくにその余裕はなかった。最終的にテレビは倒れてしまい、最新だった薄型テレビは画面がバキバキになってしまった。だがなんの巡り合わせか、その日は家電量販店でテレビが安くなっていたため、ぼくを病院に連れて行くがてら母親が新たなテレビを買っていたのだ。帰って来てすぐにそのテレビを設置してもよかったのだが、最近地震が多いと感じていた母の賢明な判断により無事のまま取って置いてあった。そのため一旦避難して戻ってきてからは、余震に怯えつつも普段通りの生活は可能だった。
それ以降、テレビでは地震に関することしか目につかなくなった。CMすらもある1つの公益社団法人のものしか流れなくなった。みんなもCMの終わりに流れるあの声を覚えているだろう。さよなライオンがロボットに変形する動画が懐かしい。
ぼくは飛びます飛びますの人が報われないと思うのだ。今でも3月になると震災の事ばかりだ。当然あの悲惨さを忘れてはならない。これからもあらゆる災害に対する対策を呼びかけていくことは大切だ。決して災害で亡くなられた方々の命を軽んじているのではなく、飛びます飛びますの人ももっと取り上げてあげるべきだと考える。ヤッターマンでもギャグがパロディされ、当時のぼくですら知っていたぐらいの方なのだから今からでも遅くないと思う。
ヤッターマンといえば実写版のドロンジョ様を演じていた深田恭子がめちゃめちゃ好き。小学6年生の頃に流行っていた3DSのMiiの所に文字を打ち込むことが出来るやつで友達と会話しがてら、3DSのブラウザで深田恭子のえちちな画像を調べて眺めていた。ヤッターマンの実写版がテレビで放送された時は録画して、小学生ながらにドロンジョ様のシーンを繰り返し見ていた。やっぱりあの頃から根はドMだったのかもしれない。