傘を差すと一人

雨音で目が覚めた。

こんな、日常音やらの原因があって目が覚めてしまったみたいな入りの文章ってよくあるけれど、本当にそれが原因なのか分からんよな。だってぼくも雨音がうるさすぎるなと思いながら起きたけど普段通りの起床時間帯だったし。

雨が降っているからとはいえ、いつも通りの朝。朝なのにちょっぴり薄暗くて、それでいて肌で空気が湿っているのを感じる。忘れないように傘を持って行こうと意識しながら着替えをしていたのに、車のエンジンをかけた時に傘を忘れていたことに気がついた。傘を取りに玄関を開けて傘立てを見るといつもの傘がなかったためビニール傘を手に取った。大学に着いてリュックを背負い傘を広げると、なんともそれの心許なさというか、無力感のようなものを抱いた。ぼくは傘に安心感を求めていたらしい。そこに展開された世界はあまりにも開放的で、透明とはいえむしろ自分の存在を周囲へ示すためのもののように思えた。一方、今はまるで透明になってしまったかのように姿をくらませたぼくのいつもの傘は真っ黒で、夕方の薄暗さでも目立ちやすいようにと真っ黄色な小学校で貸してくれる傘とは対照的な、秘めたる闇の力でもありそうなものだ。それを展開している間、そこには自分の世界が生まれる。外界を遮断し、イヤホンから流れる音楽のイメージがその黒をスクリーンに映し出される。高校時代はそんな気分になれる雨の日がなんだかんだ好きだった。晴れの日に、雀の鳴き声から始まる気持ちの良い一日も良かったが、学校全体が灰色に染まってはいるものの、生徒たちの声は明るいという雨の日特有のギャップも好きだった。学校に着くと開口一番、低気圧で頭痛が酷いと訴えかけてくる友人を、そんなんで頭が痛くなる程に繊細なおつむしてないだろと思いながら聞き流す、そんな一日が好きだった。

未だに五月病の意味が分かってないんだけど、あれはGW明けで憂鬱ってことでいいの?でも五月病ってほんとにあると思うんだ。五月病というより季節の変わり目になる病。ぶっちゃけ季節の変わり目に風邪ひきやすいとかもテキトーこくなよと思ってた。でもここ数年でマジ分かるようになった。ぼくそもそもお腹痛くなりやすい方だと思うんだよね。年がら年中、家にいる時にタンクトップってのもでかいだろうけど、冬とか予め寒いのが分かりきってる時って暖房つけるなりするじゃん。だからタンクトップであろうとも寒くないようにって対策出来るけど、そう上手くいかないのが季節の変わり目なんすよね。ここ最近暑い日と寒い日が入り交じってるもん。ベッドに入る時は暑くても起きると寒いとかさ。どうしようもないじゃん。まぁ地球さんのそんな気分屋なとこも好きなんだけどね。基本的に風邪ひくまでではなくお腹痛いぐらいだから腹巻き欲しいって思ってる。でも夏はそれだと暑いから、お腹オンリーで暖められるやつが欲しい。

雨の日は世界を曇らせているようで、己の明朗な部分のみをあえて洗い流し、濁りを残して思考させてくれる。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集