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ぼくの全てを置いて逝く

ぼくの幼少期の写真が収められたアルバムが発掘された。フィルムカメラで撮られ現像された写真たちを見て、当時の自身の可愛さにゾッコンであった。まつ毛がぶりんぶりんで、おめめがぱちぱちで、全身ムチムチなその様はまるでキューピーちゃん。あまりにも可愛すぎる。母に、「あんなに甘えん坊だったのにね〜。」と言われ、反抗期はとうに過ぎ去ったものの、この頃に比べれば圧倒的に可愛げのない今の自分が少し申し訳なくも思えた。

過去の写真を見ていると記憶にある時のものであれば懐かしさを感じるが、そうでないものに至っては自分が自分でないような感覚になる。「こんな時代もあったな〜。」なんて一概には思えず、しかし自分であることは確かなため、別世界を生きる姿なのではないかと疑ってしまうほどに、面影はあるものの、当然のことではあるが今の自分とは違う姿をしている。今では家族の前では一切見せないような無邪気な顔で笑っていたり、カメラを向けられたからとポーズを決めることもなく、自由奔放な姿を晒していたりと、今の自分とのギャップを我ながら感じた。

幼少期は全く何も不安なことなんてなく、したいことをしたい時にするといった、自身の今を大事にする生き方ができていた。それが歳を重ねるごとに、如何に良い未来を得られるかを考えるようになっていった。そりゃあの頃のような顔で笑っていられる余裕なんてないなと思いつつも、休日や自分のしたいことをできる時には、当時のように笑顔で過ごせるようにしたいと思った。

これまでの人生で沢山のものを得た。幼い頃から積み上げてきたものがぼくには沢山ある。人間関係も思考回路も物質的なものも、全てがぼくの努力や才能によって今に存在するものだ。死ぬこと自体が怖いのではなく、その全てを失ってしまうことが怖い。死んで"失う"のではなく、ここに全てを"置いて" 逝きたい。

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