ぼくには他愛ある
コンタクトをつけてないせいでぼやけきった星を眺めながら独り歩く。自販機で温かい缶コーヒーを買い、携帯灰皿を忘れたことに気付き近所のセブンの前でタバコを吸う。ガラスの裏に貼られた黒いポスターのせいで正面に自分がいる。なかなか悪くない顔してるな。自分が女の子だったらぼくと付き合いたい。それよりも何故コーヒーとタバコはこんなに合うんだろう。どちらもイキリアイテムとして良い連携を味わわせてくれる。
今めっちゃ気になってる子がいるんだけど、イマイチその子にアタック出来ない。その子は前々からぼくのことを良く思ってくれているというのは友人伝いに聞いていたが、ぼくも可愛いとは思っていた。その子と講義をサボって2人で遊んだのだが、あまりにもぼくに対して良い子過ぎるとか思ってしまった。ぼくは自分のことが大好きで、自分に甘すぎる生活を送っており、将来結婚するならぼくの全てを受け入れ承認してくれる人でなければと思っていた。結婚は飛躍しすぎかもしれないが、彼女だってどうせならそんな人がいいと思っていた。ぼくがあそこに行きたいと言ったら着いてきてくれるし、これが食べたいと言ったら一緒になって食べてくれるし、彼女こそぼくの思い描いていた人だと思った。でもそれがあまりにも窮屈というか、申し訳なくもなっている。だってなんだって「いいよ〜笑」と言ってくれちゃうんだもん。好きなタイミングでタバコを吸わせてくれるし、なんなら一緒に居たいからと言って喫煙所に入って来てくれてしまう。ぼくはこんな人を探し求めていたはずなのになんでこんなにも違う感を抱いてしまうのだろうか。
ぼくがかつて付き合っていた女性は歳上だった。あの頃も常に甘やかされていたが、むしろぼくがそれを受け入れられていた。ぼくは年齢で人のことを見る節があるのか?そんなことは無いはずだ。年功序列なんてクソ喰らえだし、先輩風吹かせてたり後輩ぶって甘えてくるような奴がぼくは大嫌いだ。なのにあの子と居ると申し訳なさを感じる。異性と付き合うこと自体が窮屈と感じるようになったのではないだろうか。高校時代はろくに友だちもいなかったおかげで感じたことはなかったが、彼女という存在(というより彼女になる前段階のめんどくさい関係の子)といる時よりも、友だちと素でくだらないことを言い合える方が何倍も楽しいとか思うのが世の常なのではないだろうか。
セブンでお酒を買ってきたのだが、ホームレスとでも思われたかもしれない。夜中にボサボサの髪で、ベランダでタバコを吸う時に寒くないようにという理由だけでセカストで買ったよく分からない犬の描いてある綿入りのアウターを着てるんだもの。トイレの鏡に写る自分を見てそう思った。ジャズって良いな。ノエルのせいで「ジャズなんてどれも同じやんけ」と思い込んでいたが、音楽の知識が乏しいぼくにとってみれば音楽なんて聴き心地でしかなく、気分によってそれらしい音を聴いているに過ぎなかった。今のぼくにジャズはあまりにも心地よすぎた。
宛もなく歩いていると道路から空き缶の転がる音がした。今走り去っていったあの車の運転手が捨てたのか、はたまた丁度落ちていたのを轢いただけなのか。もう帰って暖かい布団に入って寝よう。