My music never die.
未だに音楽を聴きはするものの、今は特に質の低い消費の仕方をしていると思う。高校時代は、独りの登下校をイヤホンから耳へと爆音で音楽を流し込みながらこなしていた。電車の時も自転車の時もあったけど、そのどちらでも音楽は聴きながらだった。イヤホンで音楽を聴く良さは、その曲の世界に没入出来ることにあると思う。しかし、最近はもっぱら車での移動であるため、運転中は常に何かしらの曲を流してはいるものの、やはり車の風切り音やエンジン音が邪魔で集中して聴ける環境であるとは言えない。それに、高校時代は家でもスピーカーやCDラジカセから部屋で音楽を流していたが、最近はそんなことも減ってしまった。畢竟、その曲の世界観を理解しようとすることが減ってしまったのだ。なんとなくの聴き心地が良ければそれでよく、誰かを車に乗せる時はそれっぽい雰囲気の曲をチョイスするだけである。良い変化ではあると自負しているが、高校時代のぼくなら、「お前らは何故この曲を聴かない?」という強気なスタンスで相手度外視な選曲をしていたはずであるが、もうそんなことをする気は起きない。音楽の消費の仕方に正解なんてないのだろうが、そんなことをぼくのような音楽の知識が無い素人が言ったところでなんの説得力も無いし、ましてや講釈垂れるなんてのは以ての外だろう。そのため、好きなアーティストや音楽を語るということに躊躇いが生まれるようになってしまった。相手が、その者なりの音楽を見い出せている者であれば、ぼくの語る音楽もぼくなりの音楽であると捉えてくれるはずなため可能であるが。畢竟、自分なりの音楽の使い方が確立出来ていればそれでいいし、他人が音楽をどう利用していようがぼくには関係の無いことである。歌詞に共感したって良いだろうし、聴いていて気持ちが良いってのも立派なその曲を好きと言えるに値する理由であろう。そりゃ殆どのアーティストは歌詞にも想いを込めてるんだろうけど、そんなの勝手にやってる事だし、別に共感なんてする必要もなく好きに楽しめばいいはずだ。軽く消費して欲しくないと言うならサブスクに曲を上げず、CDを手売りする時に全員と面談をして、自分の認めた者にのみ売ればいい。リスナーだって自分勝手に聴くし、アーティストだって自分勝手に音楽をやればいいと思う。この文章だってお前らからすればただの文章に見えるかもしれないけど、ぼくの頭ん中では軽快なフロウに乗りながらキーボードを弾いているからこれだって歌詞なんだよ。色んな形の音楽があるからこそ面白いし、まだまだ新しい音楽ってのは生まれ続けるだろうし、いつかぼくのこのスタイルも音楽ジャンルの一つとして確立し認められるかもしれないだろ?ジャンル名はなんだろう。音楽に正解がないならリスナーが曲と認めずともアーティスト自身が曲であると言うならそれを否定することも出来ないはず。新曲を待ってくれているリスナーのため、ぼくは今日も独り唄い続ける。