提言:「ニュース」というアプリをテレビ局が作るなら今のうちだと思う
ニュースアプリの記事はクソ記事だらけ
これは5年くらい前からずっと思っているのだが、テレビ局が系列を超えてNHKも民放も含め全国のニュースを集めて、一つのアプリで配信したらとても強いアプリになるので、早くやればいい。そろそろそれが価値を持つ最後のタイミングになってきたし、また既存のニュースアプリにみんなの嫌気が差し始めたので、これをやるなら今しかないと思う。
Yahoo!ニュースが様々なメディアのニュースを呑み込んでいき、一方でスマートニュースがどんどん成長してきた2010年代半ばは、なんと便利になったかと感心した。暇さえあればどちらかもしくは両方を開くようになり、その時々の最新ニュースに触れることができた。それは今も続いている。だが実は当初からそうだったし、今はますますそうなのだが、開いても実際に読むニュースは数が少ない。またせっかく開いたニュース記事がクソみたいな内容であることも多い。
ニュースアプリの発達で気づいたのは、世の中にはクソみたいな内容の記事を掲載するメディアが死ぬほどたくさんあることだ。名指しで申し訳ないが、スポーツ紙はほぼそれに当たる。あくまで私にとって、だ。
そもそも私はスポーツ紙を読むことはネット以前の時代はほとんどなかった。スポーツ全般に興味がないのもあるが、電車の中で風俗記事を堂々と開いて読むおっさんを見るたびに辟易していた。風俗やポルノを否定するのではないが、電車の中で公然と開く感覚が理解できなかった。それを許してきたメディアがスポーツ紙だと思う。軽蔑するメディアには自分が買わなければ接触することはなかったので、電車の中で時々イラつけば済んでいた。
ニュースアプリを頻繁に開くようになり、スポーツ紙の記事に自分で接触するようになった。テレビについて考える私に、スマニューに並ぶエンタメ記事としてスポーツ紙の記事がさかんに目に入るようになり、思わず読んでしまっていた。読んでしまってから、クズ記事だったことに気づく。それでもまた私の目に見出しが入ってきて思わず読む、クズ記事だと腐す、そんなことがもはや日常茶飯事になった。アルゴリズムによって私のスマニューにはテレビ関係のスポーツ紙記事がピックアップされているのかもしれない。流石に最近は、見出しを見てピンと来て、媒体名も確認してスポーツ紙だったらもう無視するようになってきた。
気がつくと、スポーツ紙に限らずニュースアプリに並ぶ記事はクソ記事だらけだった。ヤフトピにはかなりの頻度で女性アナウンサーの結婚の記事が出てくる。結婚はまだいいが、妊娠も記事にする。ヤフトピに出るからには読みたい人が多いのだろうが、女性アナウンサーの妊娠は「ニュース」ではない。ラジオで子どもができたことを報告したのを、スポーツ紙が記事にするからヤフトピに出てくる。だが「〇〇アナ、妊娠」ってずいぶん失礼な書き方ではないだろうか。ラジオでいつものリスナーに報告しているのを別のメディアが記事にすると意味が違ってくる。温かい話が下世話な記事になる。でもクズ記事の書き手は気にしないのだろう。Yahoo!も気にしないようだ。社会的に価値のあるメディアを目指すのではなかったのか?
Yahoo!には私も個人の書き手として時々書いている。だが、ひと頃に比べるとパワーが落ちたなと思う。飽和状態を越えつつあるのかなと勝手に解釈している。Yahoo!個人の書き手もずいぶん増えた。ヤフトピを選ぶスタッフも前は新聞雑誌など既存メディア出身者が担当していたのが代わってしまったらしい。私が書く、メディアについてデータを取り寄せた分析記事はヤフトピに入らなくなってしまった。ヤフトピに入らないと書き手にとってメリットは相当薄くなるので、最近は最初から別のメディアに出すようになってきた。ニュースアプリはこれまでより力が落ちていくだろう。
テレビ局はプラットフォームでは並ぶのに単独では競走する
一方、テレビ局は津々浦々のローカル局に至るまでYahoo!やスマニューにニュースが出るようになってきた。またFNNオンラインに続いてTBSがJ系の局のニュースをまとめてTBS NEWS DIGをスタートさせた。フジ系列に続いてJ系もまとめメディアを持ったのはいいことだとは思う。だが、いま必要なのは系列単位のその次ではないだろうか。
ネットの時代になっても相変わらずテレビ局は他の局と戦っている。戦う相手が違うのではないか。よくよく考えて欲しいのだが、Yahoo!やスマニュー上では並んでニュースを出しているのに、テレビ局のネットの動きになるとどうしてFNNオンラインとNEWS DIGに分かれてしまうのか。くっついた方が得だからニュースアプリに配信するのか?本当に得するのはテレビ局同士くっつくことではないのか?テレビ局同士になると競争するからYahoo!やスマニューがちゃっかり得をしている。本当の敵は誰なのかを考える時だと思う。
もうニュースアプリでクズ記事だらけなのは飽きた。もっとまともな記事が並んだアプリが欲しい。そしてテレビ局はいまだに系列ごとに互いに競争しているが、一方でニュースアプリに記事を出して喜ぶ段階は終わった。つまり、テレビニュース全体を系列を超えてまとめてネットに出す時なのだ。
テレビ局はニュースアプリこそ共用せよ
アプリの名はずばり「ニュース」と名乗ればいい。Newsは英語としてはメディアを問わず使われるが、日本語の「ニュース」はテレビ局の言葉として定着していた。ネットの時代になって「新しい記事」全般を指す言葉に戻りかけているが、まだまだテレビ側の言葉でもある。それはあと数年かもしれない。数年のうちに「ニュース」をネットでもテレビの言葉として打ち出すべきなのだ。プラットフォームにニュースを提供して喜ぶのではなく、「ニュースアプリ?日本語のニュースはテレビ局のものだ!」とか、ほざいてみてもいいではないか。
「ニュース」アプリにアクセスすると、今もっとも新しいストレートニュースが並ぶ。そこはYahooに学んで重要なニュースを10個程度まず目に入るようにする。ただしそこにはクズ記事はない。女性アナウンサーの離婚は載らない。ネットの噂話レベルの記事はない。どこかの局の「記者」を名乗る者が書いた記事が並ぶ。テレビ局の信頼に応じたクオリティの記事が出ている。当然フェイクニュースなんか一切ない。もちろん解説記事や調査報道記事も充実させてほしい。
IPアドレスを拾うなどして、ユーザーがいる地域に合う記事を優先して見せる。もちろん全国レベルのニュースとバランスよく配置する。地方では関東の小さな事件や事故は載らない。そのエリアで事故や災害が起こったら真っ先に載せる。ただ他のエリアのニュースも読めるようにはする。
ニュースこそビジネスの入口だ
報道はお金にならないから。そんな声も聞こえてきそうだが、それは大きな誤解だ。テレビはNEWSの塊だったからメディアの王様だった。事件事故や政局、汚職はもちろんだが、いま流行ってる音楽、いま旬な芸人、いま面白いバラエティ、ドラマの中でイケメン俳優がついにキスした、それらすべてがニュースだ。実はメディアはニュースが左右する。
Yahoo!は多様なビジネスを展開するが、その入り口がニュースだった。ニュースがなければ多角的なビジネスも成立しない。だったらテレビも同じだ。ネットでニュースを出すことで人々が寄ってくる。ニュースに目を通した人に、見逃し配信を見せたり、イベントに勧誘したり、スポンサードコンテンツを見せたり、多様なビジネスに導けばいい。Yahoo!の真似をすればいい。実はテレビ自身も、そうやって生きてきたのだ。ニュースがあるからイベント事業も展開できた。映画もヒットさせられた。ネットでも同じだ。
テレビ局は、テレビという共通のプラットフォームで多くの人を集めてきたから成功事業になった。ネットになるとなぜ別々にやってるのか。系列までしかなぜまとまれないのか。いい加減、その辺りのことを考えて具現化しないと、もう手遅れになる。総務省の会議ではハードの共用が議論されているが、ネットでの出口の共用も議論すべきだ。
もう待ったなし、時間はもうなくなってきている。
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