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映画「敵」人生でもっとも恐ろしいもの、それは「老い」
恐ろしい映画である。
いや、前半は愉快だ。笑える。ホラーと聞いて見に行ったら、くすくす笑いながら見ていた。
主人公は退職した元大学教授でフランス文学専攻だった。なんだかカッコいい。まだ雑誌に連載を持っていたり講演を依頼されたりする。
だが内実は、貯金と年金を計算しあと何年経済的に持つか考えたりしている。妻にはずいぶん前に先立たれ子もなく一人暮らし。ただ「丁寧な生活」ができる人で毎朝料理する。主人公が料理する様子を丁寧に描く。朝はシャケを網で焼く。お土産にハムをもらうと薄く切りハムエッグにする。時に鶏のもも肉やレバーを丁寧に下拵えし焼き鳥を焼いて一杯やる。掃除もするし洗濯もする。庭で雑草が気になるとむしり、物置から古道具を出して整理する。
元教え子の“美人”編集者の原稿依頼に心の中はデレデレしながら応じる。行きつけのバーの経営者の姪が女子大生で立教の仏文。主人公のことも知っていてフランス文学の質問をされると帰り道で上機嫌になり鼻歌で帰宅する。
そういった、老いを楽しむ男の日常が笑える。笑えるのは私が還暦を過ぎて老いに直面しているからだろう。わかるわかる、とか、自分もこうなるかなあ、とか共感しながら見ているので楽しい。
ところがである。そこから先はまさに「敵」が登場する。ネタバレしそうなので未見の人はここまで。面白そうと思ったら今すぐ上映館を探して見に行くべし。
敵は何者なのか?そして北から敵が来ると警告するのは何者なのか?
とにかく最初のメールから堰を切ったように不穏な出来事が立て続けに起こる。前半なんだかニヤニヤして見ていた楽しさが一転する。知人のデザイナーが突然重い病で寝込む。それが目覚めたかと思うと目をひん剥いて何かを訴えかける。美人編集者が急に誘惑してきたのに目覚めると夢声する。せっかく甦った妻が消えたと思ったら美人編集者との食事のテーブルにいつのまにか座っている。妻が「あの美人編集者と想像してしてたんでしょう」と詰問してくるあの場面が一番怖かった。そんな恐怖が、どこまでが夢でどこからが幻想でどこだけが現実なのかはっきりしないままでも着実に敵が迫ってきてある時ついに弾を撃ち込んでくる。
この、夢か幻か現実かわからない世界が後半の魅力だ。見たくないけど見てしまう悪夢のような世界に私は入り浸り快楽を感じた。嫌な気持ちになることを楽しんでいた。
いよいよやって来た敵は弾を撃ちまくり爆弾も落としているようだ。主人公は戦時中、母の胎内で空襲を経験したというが、同じように物置にこもって爆弾をやり過ごそうとする。だがなぜか彼は物置を出て敵に立ち向かおうとし、撃ち殺される。それは夢で、目覚めた主人公は春になればみんなに会えるとつぶやく。春になり集まって来たみんなは、彼の遺言を確認するためだった。家を相続した甥は主人公の祖父そっくりだ。最後に消えたように見える甥は家に取り込まれたのだろうか?
結局、敵は何者かわからない。あえて言えば、それは「老い」なのだろう。彼が見た夢や幻は、惚けによるものなのかもしれない。だがそんな「解釈」は重要ではない。私は老いに共感し、老いに恐れ慄いた。それをひっくるめて楽しめる映画だった。
原作は筒井康隆。私は20代に出会い、初期作品からすべて読み尽くし、30代までは新作が出るたびに読んでいた。その後、筒井は前ほどのペースで書かなくなったし私も新作を追わなくなっていた。だが間違いなく、私が最も愛し、影響を受けた作家だ。
脚本・監督は吉田大八。実はラ・サール高校の一期後輩なのだが会ったことはない。彼はTYOという制作会社でCMを演出していた。私は広告制作が本業だし一時期ロボットにいたので非常に近い世界で生きてきた。そのうちお会いしてみたい。「敵」をどうして作ったのか聞いてみたいものだ。
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