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日本の放送業界は欧州型に転換すべきではないか

先日、宣伝会議が発行するWEBメディア「Advertimes」上で青山学院大学の内山隆教授と対談企画を記事化した。対談と言ってもほぼ、私が内山先生に質問していくインタビュー記事のようなものだ。
3月に放送法解釈問題が国会を賑わせ、本題を離れて高市大臣の議員辞職だの、文書を公表した小西議員のメディアへの暴論などに広がり収拾がつかなくなった。だが放送法を考えるいい機会だと思い、「4条はなぜ必要か」「政府と放送局の関係」などをお聞きした。内山先生も赤裸々に質問に答えてくださり、読み応えのある内容になったと思うので、ぜひ読んでもらいたい。前後編に分かれている。

内山先生にお話を聞いてあらためて、日本の放送制度は独特だと感じた。言ってみれば日本は、米国と欧州のいいとこ取りをしている。あるいは、両方が混ざった中途半端な形だ。米国は自由放任的で民放が中心、公共放送は本当に視聴したい人の料金で細々運営している。一方欧州は公共放送が中心で民放は日本や米国に比べるとおとなしい存在。公共放送は罰則もある受信料制度で国民の情報ニーズを支えている。
日本はしっかり受信料を徴収する公共放送がドンといる上に、米国同様民放が華やかに娯楽番組を放送している。これを2元体制と呼ぶのだろうが、考えてみるとよくそれでやってきたものだ。

国が情報空間を公認し支える欧州のPSM

今回の内山先生のお話にもPSB(Public Service Broadcasting)からPSM(Public Service Media)への流れが出てきた。欧州では元々、例えば英国ではBBCと共にITVなどの民放もPSBに括られている。日本で言うと民放も公共放送の枠組みの中にある、ということで感覚としておかしい。だが日本でも民放には公共性もあると、最近はよく言われる。災害の時は通常の番組を中断して人々に情報を提供し避難を呼びかける。それも一つの公共放送の役割なら、民放だって公共放送ということになる。
欧州ではPSMに概念を変えてネットメディアやサービスも既存の放送局と一緒に括ろうとしている。放送と通信をとっくの昔に同じにしているので、当然の流れなのだ。そうすると、NetflixやAmazonのオリジナルドラマも、放送と同様の役割と制限が生じるのだろうか。実際のところはまだ議論中だそうだが、そうなるのだろう。

プロミネンスルールは日本で成立するか

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