テレビを支配したがる新聞社という存在
日本新聞協会という名の圧力団体
今週、こんなニュースが配信された。
共同通信が配信したこの記事は、地方紙にも転載され、新聞業界全体が大合唱しているように見えた。
総務省の有識者会議がまとめた放送制度改革案に対して日本新聞協会が意見書を出した、という記事で、「NHKのネット拡大を危惧」がその中身らしい。今、NHKのネット拡大を危惧するのはNHK党と新聞協会ではないか。
「日本新聞協会」の名で出てくる放送業界への意見に接するといつも、何のために出しているのだろうと思ってしまう。自分たちのイメージを悪くするために出しているとしか思えないのだ。「NHKのネット拡大を危惧」すると主張して、誰が賛同するのだろうか。「そりゃあけしからん!」と共感してくれる国民はどれくらいいるだろう。おそらくほとんどの人は「あんまり興味ないし、それが何か?」との反応だろう。
ことあるごとにこんなことを言っていると、人のことをとやかく言うお爺さんたちに見えてくる。自分たちの領域を侵されて不平不満を言う守旧派の老害たちにしか見えなくなる。そう、日本新聞協会は、放送業界の新しい動きを潰しにかかる圧力団体なのだ。面白いのは、放送の中でもNHKにはことさら厳しいのが特徴だ。NHKが潤沢な受信料をもとに人も金もこってり使って報道するのが腹立たしいのだろう。だが既存メディア全体がネットに押されている今、そんなこと言ってる場合だろうか。
自分たちのことは棚にあげ悪口だけを言い募る「意見書」
「意見書」を実際に読んでみると、さらに呆れ返ってしまう。本当に年寄りの言いがかりなのだ。自分たちの進歩の遅さは棚に上げて、重箱の隅をつつくだけの老害文書。こんな文書を公開する厚顔無恥ぶりが信じられない。
↓このリンクから意見書の全文が読めるのでざっと目を通すといいと思う。2ページなのでさほど長い文書ではない。
デジタル時代における放送の将来像と制度の在り方に関する取りまとめ(案) に対する意見
意見書のうち、前段に当たる部分を抜き出して検証してみよう。3つの段落に分かれており、まず1つ目の段落。
ここは総務省の有識者会議の目的には賛同すると書かれた部分で、唯一共感を示した箇所。ネットの時代になって信頼できる情報の価値が重要になった、それをどうネットで守るかが有識者会議のテーマなのだ。
2つ目の段落で「愚痴」が始まる。ただ、ここで言っていることは一理あり、ネットでの情報流通を放送業界だけで議論していいのかと言っている。ただ、「二元体制を持ち出すのは妥当ではない」との言い方は「妥当ではない」。要するに「新聞社や通信社も入れろよ」と駄々をこねているわけで、「我々も参加させろ」と言うなら理解できる。ここで二元体制を持ち出しているのは新聞協会の方だ。「二元体制」はNHKと民放で一緒に考える問題だと言っているだけで、総務省の会議なんだから当たり前だろう。新聞協会として主張するなら、総務省の管轄だけで議論することではなく、より広く議論すべきテーマだと言うべきだ。もちろん雑誌やネット上の新メディアも加えて議論すべき課題だ。
ここで「二元体制」にことさら触れるのは、次の段落への伏線なのだ。
3つ目の段落で「作者が本当に言いたいこと」が露わになる。要するにNHKに釘を刺したいのだ。なーんだ、例によってNHKへの牽制か。それが分かってがっかりしてしまう。新聞協会から放送業界への意見はそれしかないのか、と思ってしまうほどNHKに牽制し続けている。
だったらあなたたちは?と言いたい。最初の段落で、ネットでは信頼できる情報の価値が重要になったと書いている。それを有識者会議で議論しているのに対し、新聞社や通信社も議論に入れてくれ、と言うならわかる。建設的だとも思う。だが入れてくれと言うのではなく、だからってNHKがネットで肥大化するのは許さんからな、としか結局言ってないのだ。つまり、自分たちのネットでの利益を侵すなよ、と言うのだろうが、そう言えるほどネットで何かしていましたっけ?
既存メディアはもはや奪い合いをしている場合ではないのだ。気がつくと自分たちの島はどんどん小さくなりそこで奪い合いをしていても居場所そのものがなくなりかねない。一方ネットは小島だったのが広大な大陸に膨らみつつあるのに、既存メディアはそこで奪い合いどころか足場さえ築けていない。そこでは誰もが勝手に言説をばらまいていて、怪しい情報をまき散らし国民がそれに惑わされかねない。既存メディアがしっかりした情報機関であるなら、どうしたら居場所もしっかり獲得できるか、国民に正しい情報をきちんと届けられるか。総務省の会議で議論されているのはそういう、生き残りと国民の利益の議論だ。獲得できてもいない領土の奪い合いには意味がないし、足を引っ張りあっている場合ではないのだ。
この意見書は日本新聞協会の「メディア開発委員会」の名義になっている。新聞協会では今後のメディア開発をどうするのか。総務省の会議に意見するなら、自分たちのプランと考えを表明せずにどうすると言うのか。メディア開発委員会名義の文書が、NHKへの牽制だらけ。まったく情けない。新聞社や通信社のメディア開発とは、NHKの足を引っ張ることだと示してしまったようなものだ。なぜこんな文書を堂々と発表できるのか、感覚がおかしいとしか思えない。
本当に聞きたい。新聞社や通信社がネットの時代にどう立ち向かおうとしているのか。新聞協会は、それをこそ意見書で示してほしい。それがあってようやく、総務省の会議の場で主張できるのではないか。未来への青写真を語る場に、別の業界団体が意見するなら、自分たちなりの青写真を示せなくてどうするのか。そうしないと恥ずかしいことが、なぜわからないのだろう。
「NHK三位一体改革」の時代錯誤
3つ目の段落に「NHK三位一体改革」の言葉が出てくる。この言葉そのものが時代遅れ感が漂うのだが、これは2015年〜2020年に延々行われた「放送を巡る諸課題に関する検討会」で再三出てきた言葉だ。NHKが同時配信を検討するなら「三位一体改革」つまり料金・業務・ガバナンスを改革してからにせよ、と要望していた。
同時配信はもう実行されている。それなのにまだ「三位一体改革」の言葉を使うのは、ポイントがずれている。もっと言うと、時代錯誤だ。ところが、2月16日の総務省有識者会議第5回で新聞協会が出してきた意見書にも登場した。
この回を私は傍聴したが、「三位一体改革」の語が出てくることに驚愕した。今さらこれまだ使うのかよ!
この時のことは前にもMediaBorderに書いている。
驚くべきことに、この時の意見書も「NHKへの牽制」でしかなかった。NHKのネット展開はこの会議の各論でしかない。このタイミングではほとんど議論にのぼっていなかった。それなのにNHKのネット展開はけしからんと主張し続けた。しかも、あからさまにリモート会議に慣れてない代表者が終始画面で「日本新聞協会」の文字だけを表示し自分の顔を見せずに喋り続けたのだ。質疑の時間に、有識者から遠回しに皮肉を言われてしまっていた。自分が大恥をかいたことに気付きもしなかったのかもしれない。きっとリモート会議のためにわざわざ出社し、部下に操作させるタイプなのだろう。いや、公の会議で顔を見せずに平気で喋るなんてそういう人物、つまりDXについていけないタイプとしか思えない。
新聞協会はもう「三位一体改革」を使うのをやめた方がいい。失笑をかうだけだ。今の総務省の会議ではNHKの問題は各論でしかない。そんなことより、今後の言論空間をどうするかという大きなテーマを真剣に話し合っている。だいたい改革はそもそも前田会長によって進んでいるではないか。いい悪いは別にして、受信料も下げたし組織も大きくいじっている。辞めた人もたくさんいるし、文春には匿名50代社員の泣き言まで掲載された。改革はぐいぐい進んでいるのだから、あとはその成果を評価するしかない。三位一体改革を言えば言うほど「自分たちは時代についていけないメディア界の老害です」と拡散してしまうだけであることに、気づいてほしいものだと思う。
新聞社に”握られている”放送業界の行く末
こうして叩いておしまいにできないのが、放送業界と新聞業界の関係だろう。結局は資本などで大事な部分を握っているのが放送業界に対する新聞業界だ。わからずやの老害に、放送業界は命運を握られているのだ。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?