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泣かない
そういや子どもたち、ここ最近ずっと泣いてないな。
ふと夫婦で気づいた。
小学生になってから、ギャンギャン泣くようなことがなくなった。
赤ちゃんの頃は当然だが、幼稚園の頃も、何かあっちゃ3人のうち誰かがギャン泣きしていた。
子どもの泣き声は本当にこたえる。
たぶん本能的に泣き声をやませるために、ストレスを感じるようになっているのではないかと思う。
ああ…しんどい…と夫婦ともども呆然としてしまうなんてこともあった。
余裕がある時は耐えられるが、ない時だってもちろんある。
しんどくても泣き声からは逃れられない。
隣りの部屋にいっても、薄っすら聞こえる声のストレスはすごい。助けてあげたいという気持ちと、助けてくれと言う気持ちがせめぎ合う。(助けてあげたいなら助ければいいのは?と思うかもしれないがそう単純でもない
。赤ちゃんならまだしも、ちょっと大きくなってからの泣きは、対応手段が一瞬にして万策尽きることがままある。)
幸いうちは夫婦ともに家に居ることが多かったので、どちらかが限界になったら助け合うということができていたように思うのでなんとか乗り越えられた気がする。日中一人で子育てしている人は本当に大変だと思う。
その頃よく夫婦で話していたのが、
1日誰も泣かなかったら祝杯をあげよう。
ということだ。
これがまじでないのだ。
当然のように泣く。
ご挨拶のように泣く。
喫煙者のちょっと一服程度に、ちょっとした間に泣く。
惜しい!というようなこともなかった気がする。
結果一度も祝杯をあげられなかった。
いつしか祝杯のことなど忘れていったわけだが、
昨日ふと思う。
そういやここ最近、泣かないことが当たり前になっているぞ。と。
すごい。
成長したんだなぁ。
しかもどういう感じで泣いていたのかも、もうあまり思い出せない。
やばい!泣きそうだ!落ち着かせろ!と何度も思った気がするが、詳細はぼんやりしてきている。
記憶とはかくも脆弱か。そのおかげで精神を保てているのだろうとは思うが。
そろそろ一度祝杯をあげてもいいのかもしれない。
あの頃の子どもたちを思い出すと、小さいなぁなどと愛おしく感じるが、
同時にあの頃の立ちすくんでいる自分たちも愛おしく思える。
偉い!と。
あの頃の私と妻と、今の我らの4人で飲みにでも行きたいもんだ。