苦労は買ってでもしたほうがいいの?
苦労は買ってでもしろ。
ってよく聞くけど、
どうなんだろう?
と思ったので、ちょっと思ったことを書いてみる。
まず1つ、苦労に関してよく言うし、よく聞くのは
苦労を苦労と思わないことがやりたいこと
みたいな。
こうした事は結構真理だと思う。
他に人にとって、苦痛でしんどくて、大変なことも、自分にとってはなんてことない楽しいことのように思うこと。
人前で話すのが苦手な人もいれば、人前で話すのが好きな人もいる。
その、人前で話すことを苦労と思うか苦労と思わないか。
それによっても、苦労の捉え方が違うと思う。
続いて今の人に多いのかもしれないけれど、
苦労せずに何かを達成できれば、それに越したことはない
よねって考え。
ここにあるのは、苦労した結果手に入れたものが凄く大事なもので、思い入れも深く、重要みたいな。
汗と涙の結晶的な。
確かにそれは一理あるけれど、じゃあ苦労無くして手にしたものは、適当なものかというとそうでもない。
さっきの、何を苦労と思うのかという話にも通じるけれど、楽しんでやっていて、手にできたものは、それはそれで大切なんじゃないだろうか。
最後に
苦労を買うことを前提で話をするなら、
その苦労は、自分で買ったものか買わされものか
って事。
「苦労は買ってでもしろ」の苦労を自分で買ったのなら、苦労のしがいもあるだろうし、自分で買った分、元を取るじゃないけれど、なんとかしようと思う。
しかし、その苦労は「苦労は買ってでもしろ」の苦労とはちょっと違う気がするんだろうね。
その苦労は、最初の「苦労を苦労と思わない方の苦労」であるから、「苦労は買ってでもしろ」発言する人の苦労には該当しなくて、その発言者に取っては納得いかないんだろうね。
楽をしてるとか、たるんでるとか思われるのだろうね。
いらない苦労を買わされたって、いらないし。クーリング・オフだって出来ないんでしょ?
無理やり買わされちゃ、詐欺と一緒でしょうって。
苦労する前提で話をするなら、どんな苦労をすればいいかわからないこともある。
苦労の選び方
とでも言うのだろうか
どのテレビを買おうか迷って、店員さんに訊くみたいに。
苦労を選ぶことも難しくて、それを先人達が教えてくれるなら、それはそれで役に立つことかもしれない。
しかし、それは相手の意見を聞きつつのこと。
テレビを買いたいお客さんだって、良い店員さんなら、どんなテレビが良いかをちゃんと聞き取った上でアドバイスする。
サイズの大きいテレビが欲しいというお客さんにしても、
四畳半の家に住むのに、100インチのテレビはいらないだろうし。
素晴らしい店員さんなら、お客さんが求める奥にある、本当に欲しいというか、必要な、ベストな商品を提供することが出来ると思う。
振り返ってみて、あの時、苦労して良かったなぁと思うこともあれば、
あんだけ苦しんだのは何だったんだって思うこともある。
自分で選んだのなら、その結果も、納得が行く気がする。
くろうをしろうとする話でした。