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生き慣れることの、尊さと悲しさ

どうも、すぎちゃんです。
今回は私の人生をすこし振り返った時に感じたことを踏まえて、お話ししたいと思います。


"生き慣れる"ということとは。


私は昔から、「こうするべき、こうあるべき、これはすごい」というものを追い生きてきました。

例えば、、
テストの点数が高いといい。
資格は持っていた方がいい。
有名な学校にいけたらすごい。
大きい会社に入れたらすごい。


親は自由にさせてくれていましたが、
私は自然と入ってくる情報をもとに、みんなと同じようにこんな風に考えていました。

悪いことではありませんし、自然なことだとは思います。
しかし、それは他人に作られた自分であって、本質的には自分が選んだ人生ではなかったのだと今は思います。


なんとなくで進学校に頑張って入り、ダンスやイベント、バイトにはまった私は勉強の手を抜きます。
短大に入って学歴コンプレックスを感じたことをバネに、大手企業への入社を決めました。

今思えば、そう考えていたことをほぼ全て形にしていたのはすごいじゃん!と、自分に言ってやりたくなりますが😂


社会人になって、なんとなく世の中のことを知ることになります。
そして給料が毎月振り込まれ、それを元手に生活するリズムにも慣れていきます。

仕事のリズム、生活のリズムが整っていきます。

そして私は生き慣れていきました。



生き慣れる、ということはとても尊いことです。
何故ならそれは、誰もができることではないから。

食べ物、飲み物に困ることなく、
寝る場所に困ることなく生きていけることはとても尊いことです。

当たり前の生活があるということは、とても尊く、感謝をしなければいけないことです。



それと同時に、生き慣れるということは悲しいことでもあると私は思います。

新しい自分と出会える機会が損なわれてしまう場合があるからです。

大抵の場合は、自分の慣れている環境は心地いいので外に出たくはありません。
それは悪いことではありません。

しかし、もし、自分が成長したいならそれではダメなんです。
夢があるなら、叶えたいものがあるならそれでは掴めないんです。

でも、生き慣れてしまうとそれが色褪せてしまったりします。
望んでいたことが、霞んできます。



私はかつて、日本での生活に慣れていったので、東京に生き慣れていました。
しかし、旅の途中でバリ島に出会い、ここで生きたい、と直感的に思ったんです。

仕事も好き、家族も好き、友達も好き。
でもバリが恋しい。


色々なことを経て、バリに引っ越した私は、生き慣れていたものを手放したんです。
安定した収入は無くなったし、大好きだった人たちとは気軽に会えなくなりました。
乗り換え案内を見なくてもスススス〜っと移動していた東京の地下鉄徘徊という特技も無駄になりました。

でもそのおかげで、新しい生活を得ることができました。
恋しかったバリ島に引っ越すことができ、私は今バリ島で生きています。


生き慣れることは、大変なことです。
ですが時に、それは悲しいことでもあります。

日本で生き慣れているみなさん、
本当にそれは自分が望んだ生活ですか?


慣れすぎて、自分の本当の望みに耳を傾けずにいてはいけません。

今の生活が大事な人は、生き慣れていることに感謝しましょう☺️
生き慣れているけど、なんか違うんだよね、、
という人は改めて自分の本当の気持ちに耳を傾けましょう。


新しいことに挑んでも、いつかはまた生き慣れる日が来ます。
大丈夫、自分を信じて👍

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