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溶ける公教育 デジタル化の行方 第2部(4)校舎に入り込む企業社会
2022年7月22日【2面】
文部科学省の事務次官を務めた前川喜平氏は、同省は旧文部省時代から長い間、民間教育産業には関知しない立場をとってきたと語ります。「文部省が所管を主張しないので教育産業はいわば“無主物”でした。そこに通産省(現経済産業省)が目をつけ1980年ごろから占有権を主張しだしたのです」
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受験競争
文部省が積極的にかかわらなかった背景には60年代以降、「受験戦争」の名で社会問題化した受験の過熱化に、教育産業が一役買っているとの認識があったといいます。受験で追い詰められた子どもをめぐりさまざまな事件が起きるなか、過熱化解消を政策目標とする文部省の基本的な考え方は「塾はない方がいい。学校で事足りるというものだった」と振り返ります。
70年代に深夜や休日に及ぶ長時間の塾通いが「乱塾」と問題になると、文部省は繰り返し過度な塾通いの弊害を指摘。教育産業と距離をとる姿勢は、99年の生涯学習審議会(文相の諮問機関)の答申でも、過度の塾通いとその低年齢化への警鐘として維持されていました。
経産省の動きを警戒し続けてきたと語る前川氏。「教育産業が公教育を乗っ取る動きには文科省として抵抗しなければいけない」と苦言を呈します。
法政大学の児美川孝一郎教授は、2016年の第5期科学技術基本計画を境に、極めて短期間に公教育と教育産業の壁が消失しようとしていると指摘します。キーワードは、中西宏明日立製作所会長(当時、後に経団連会長)が提唱し計画に取り入れられた「ソサイエティー5・0」という概念です。
ソサイエティー5・0は、インターネットを産業基盤としてだけでなく、社会課題の解決策であるかのように捉える点に特徴があり、岸田文雄首相の「新しい資本主義」の理論的支柱になっています。
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人材育成
児美川氏は、産業界の求める人材育成が公教育に期待されることはこれまでもあったが、ソサイエティー5・0では公教育を含むあらゆる分野が市場化の対象とされ、公教育は「教育産業」だけでなく「企業社会」からの干渉と参入にさらされるといいます。
事実、経産省や文科省が実施している教育のデジタル化の実証事業には、デジタル機器メーカーのソニーやコニカミノルタ、人材派遣のパソナやリクルート、凸版印刷や住友商事、JTBなど多様な業種から企業が参加しています。経産省の審議会では、人材派遣の拡大につながる教員免許状を持たない外部人材の教員採用の拡大が提案され、企業が公教育に参入する利点として、学校を市場の調査や開拓に利用できるとの声があけすけに語られます。
児美川氏は、教科学習だけでなく特別活動や生徒会活動を通じて学校が培ってきた子どもたちが主権者として育つための力は、経産省の「未来の教室」では絶対に身につけられないと指摘します。「経産省も協働的な学びを重視するといいますが、それはせいぜい学びを一緒にやるだけ。これまでの学校の共同・協同の学びの豊かさとはレベルが違います」
同時に、不登校の急増や理不尽な校則、教師の長時間労働の原因となっている部活動など、現在の公教育の弱点を経産省が巧みに取り上げ、子どもや保護者、教職員らの一定の支持を集めてきたとし、学校が抱える問題点を直視しなければ、それによって苦しんでいる子どもや保護者を経産省や教育産業の側に押しやることになりかねないと語ります。
(シリーズ第2部おわり。佐久間亮が担当しました)
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