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不安と罪悪感と依存と自立

私自身、罪悪感が大きいなと常々感じて来た。
そもそも古来人は一人では生きていけなかった。その為にチームからはみ出さない様に罪悪感が生まれた。チームを存続させる為にも罪悪感が必要でDNAに刻まれて来た。
もうこれは本能と言っても良いかもしれない。

ところが、この罪悪感。どうも重たい。しんどい。
今の世の中、そんなにチームを組まないでも生きていける。
どうにか罪悪感を手放したい。手放せないものか考えた。

どんな時に罪悪感を感じる?親の面倒をみなければ。私だけ良い思いをしても良いのだろうか。
親の面倒を見なければどうなる?私だけ良い思いをしたらどうなる?

嫌われる。。。嫌われたくない。

あれ?これは依存かもしれない。
チームから外されたくない依存心。好かれたい依存心。

ねえそれ、本当?本当にチームから外されたくないの?
私は一人で居るのが好きよね。
チームから外されたらどうなるの?
多分、今と何も変わらない。
親の面倒を見なくても、親は私を愛したままだと思う。

想像だ。全部想像。想像で作った愛され無いと不安。
親が喜ぶ一時の心地よさに依存する。
これは幼いころのやり方。愛して欲しい依存心

依存心は”無い・不安”と思うから依存心が芽生えるのだな。
もし”有る・安心”としたら依存しなくて良い。

依存心と罪悪感はセットだな。
共依存になりたければ、相手に罪悪感と不安を植え付ければいい。
依存から抜け出るには、罪悪感や不安は想像にすぎない事に気が付けばいい。

罪悪感を感じたくなければ、自立すればいい。
依存している自分に気が付けばいい。

この世には罪悪感が薄い人々が居る。
「罪悪感て何?」そう言う人は男性に多い気がする。
そうか。あの人たちは自立した人なのか。
なーんだ。私は依存している人なのか。

知ったらここからどうするか、ぜーんぶ自分次第。それが自立。

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