「まつおか」の歴史 ~ こってり仕立て #2
こんにちは。「お惣菜のまつおか」note担当の奥村です。
前回よりスタートしました、まつおかの歴史~こってり仕立て~。引き続き書いていきたいと思います。胸ヤケ上等・リッチテイストをお楽しみください。
↑ 第一話はこちら!
未来を決めたビッグアイデアとは
1994年、愛知県・名古屋市。百貨店での手作りお惣菜屋オープンを目指し準備に奔走する社長。忙しい毎日の中、あるモノに目を奪われます。
社長:冬に湯豆腐を売ってらっしゃるお豆腐屋さんがあってね、小さいお鍋がいかにも火にかかっているようなディスプレイコンロを使ってらした。それを眺めてるうちに、ひらめいたの。
「まつおか」の店舗をご覧になったことのある方は、ピーンと来たかもしれませんね。
社長:これをもっと大きくして、お惣菜を入れて並べたら、面白いじゃないって思ったのね。できたてをアピールするのにぴったりだ!って。
現在の「まつおか」店舗でもアイコンになっている、囲炉裏の上の大鍋で、今まさに煮物が出来上がったかのようなディスプレイ。これを思いついたのも社長ご本人だったのですね!びっくらこきまろー!
思いついたらすぐ行動。そのお鍋のディスプレイを作ったという道具屋さんを紹介してもらい、特注のお願いをしに行きました。
社長:びっくりされたけどねぇ。快く受けてくださって。その道具屋さんには今でも色々と相談に乗ってもらったり、お付き合いが続いてるんだよ。本当にいいところを紹介してもらえて幸運だったね。
社長の幸運もすごいですが、考えて考えて考えてアイデアを捻り出すこと、それを形にするため一歩踏み出すこと。ここにものすごくエネルギーって使うと思うのですよね。しかもそれが、誰もやったことがない新しい事だとなおさらそうだと思うのです。
社長はサラリと話してくださるので、「ふんふん…。」なんて普通に聞いてしまうのですが、いやいやいや、簡単にできることじゃありません。レッドブル50本くらい飲んだら私にもできるかな。無理か。
「まつおか」らしい世界観の店づくり
なんとも大胆な大鍋ディスプレイを考え出した松岡社長。しかしそれだけでは終わりません。さらに温かさを添えた「まつおか」らしい世界観を作る事を大切に、お店作りを進めていきます。
以前よりお付き合いのあった、装飾物全般を手作りしてくださる先生にお願いして、ディスプレイ用の小物類を作ってもらいました。
社長:先生は頭の中がアイデアで溢れているような方でね。本当になんでも上手に作っちゃうの。今でいうアートディレクターみたいな事してもらっていたね。季節や歳時記を大切にしつつ、お惣菜が引き立つような演出。先生が作ってくださった「まつおか」のイメージは、今も引き継いでるよね。
社長:お惣菜について色紙に綴ってくれたりもしたんだけど、ショーケースを前にその場でサラサラ~って書いちゃう事もあった。それが本当にどれも素敵でね。
社長:面白かったのはね、ある日ふらっと厨房にやってきて、大鍋を抱えて、煮物を揺する60代のパートさんの写真を撮っていった。どうするのかなーと思ってたら、額に入れたその写真をお惣菜の横に並べてね!「できたて」「手作り」どちらも演出できる素晴らしいアイデアだった。どうしたらそんなにも次々思いつくのかなって!すごいよねぇ。先生とご縁があって本当に良かった。
社長:他にもね、大鍋を特注した道具屋の社長さんが、木の鍋蓋を使ったプライスカードを作ってくれたの。全部筆で手書きで。素敵でしょう!そうやって色んな人の力を借りて、売り場の雰囲気作りをしたの。
松岡社長のお人柄に寄せられて、色んな人が力を貸してくれたのでしょう。
そうして、ショーケースの中を「まつおか」の世界に作り上げ、主婦が考え主婦が作る、ふだんのおかずがより輝くお店が出来上がりました。
祝!一号店オープン!
1994年4月6日、たくさんの想いがこもった「あったかお惣菜の店 まつおか」が、三越・名古屋栄店にオープンしました。
お惣菜の入った大きな鉄鍋がずらり並び、自在鉤(じざいかぎ)が吊られた、当時としては大胆な店構え、目新しいディスプレイに惹かれてお客様がどんどん集まり、初日から大盛況。それだけでも嬉しい事でしたが、社長が最も胸を熱くしたのは、お客様の「私、今日もう家に帰って作らなくていいわ。」の言葉でした。
社長:その言葉が一番嬉しかった。
思えば、外で働くお母さんが増えて、専業主婦が少なくなった、その始まりの時代だったよね。それでも ”主婦たるもの、三度の食事を作らなければいけない” という考え方は残っていて。それじゃあ主婦の負担が増えるでしょう。そのお手伝いをしたいって思っていたから。
令和になった今でこそ、やっと浸透してきたように感じるそんな考え方を、いち早く感じ取り、答えを形にした社長。かっこよすぎるのですが…!
いちおう、私も主婦なんですが、書いててジーンとしています。毎日ちゃんと作ってる主婦だったら泣いてるかもしれない(頻繁にサボっている)。
初期を支えた名物パートさん達
話が「まつおか」オープン直後に差し掛かると、驚くエピソードがぽんぽん飛び出します。主婦が開いたお総菜屋さん一店舗目ですから当然なのですが、現在とは全く違う事もたくさん。
社長:毎日のお惣菜づくりは野菜を洗うところから始まるの。八百屋さんから直接買っていたから、朝採れの泥が付いたままのもあって、それは大変だった。ほとんどのお惣菜が野菜中心だからね。すごい量。
現在の「まつおか」は、野菜の下ごしらえをする工場があり、皮むきやカット等はそちらで行い(そちらもいつか取材に行きたい!)、翌日には各店舗に届く仕組みになっています。そこから先を店舗でその日に調理しています。仕込みから店舗で行っているものも沢山ありますが、特によく使うお野菜は「まつおか工場」経由でお店にやって来ています。
社長:この写真にも写ってるパートさん方、懐かしいね!厨房専属でやってくれる方が3人いらしたんだけど、本当に仕事が早かった!大根の皮むきなんかあっという間に終わっちゃう。こんな大きな鍋だって平気な顔して持ってね。激務だっただろうに、厨房を綺麗にする所まで毎日時間内にきっちり。60代だよ!凄いよねぇ!本当によく動いてくれる人達だった。あ、そうそう、この人なんかはね、、、
松岡社長はスタッフさんや取引先の方々の事をとても細かく覚えていらっしゃいます。まだ全国展開前の事ですから、スタッフさんと社長との距離も近かったのでしょうが、そんなことまで!な詳細も飛び出すので驚くばかりです。それにしても、当時のスタッフさんの働きぶりは度々話に出るので、さぞやデキる方々だったのでしょう。
現代の社員しっかりせい!と喝を入れられないよう、精進して参りたいと思います。
心強いスタッフ達に支えられ「まつおか」一号店を切り盛りする松岡社長。今度は店を軌道に乗せることとなる、ある一手を思いつくのですが、、、。
なに!?次の一手ってなに!?
長くなって参りましたので、気になる続きは第三話にて、とさせていただきます。
次回もコッテリ行くぞー!わっしょーい!