「まつおか」の歴史 ~ こってり仕立て #4
「お惣菜のまつおか」note担当の奥村です。
すっかりご無沙汰してしまいました。忘れていたわけではございません。
「まつおか」創業からの歩みをコッテリ綴っておるシリーズ、第四話でございます~
↑ これまでのお話はコチラ!
全国展開の第一歩とは
お野菜たっぷりのお弁当が大ヒットした「お惣菜のまつおか」1号店。
毎日たくさんのお客様で賑わいました。
そんな「まつおか」に注目した他の百貨店からも声がかかり始めます。
お店を増やす決断をした松岡社長は、名古屋市内を始まりに、2号店、3号店…と順調に展開していきました。
社長:どのお店もそれぞれに思い入れがあるけど、最初の頃で印象が強い店舗の一つは金沢の香林坊店かなぁ。
全店舗を開店順に並べたリストを見てみると、1号店から名古屋市内の店舗が続く中、ポツンと名前を挙げる「金沢 大和香林坊店」。※現在は閉店
出店までのお話がなんだかロマンチックなんですの。
ラブストーリーは突然に。小田和正を頭に流しながらお読みください。
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松岡社長の奮闘と時同じく、食品フロア、すなわちデパ地下のリニューアルを控えていた大和百貨店・香林坊。当時の食品部長・岩井さん(仮)は、某高級料亭の店舗視察を兼ね、名古屋に訪れていました。そしてその足は「まつおか」のある三越・名古屋栄店に。
地下の食品売り場へ伸びるエスカレーターに乗り、、ふと顔を上げた岩井さんを稲妻が打ちました。ズビぃー!!!
「 なんだ、これは…!」
眼前に現れたのは大鍋の行列。そう「まつおか」の店舗です。
理念や店づくり、お惣菜の味にすっかり驚嘆した岩井さんは、すぐさま松岡社長に出店をオファーしました。ところが。
社長:いやもうね、断った。難しいだろうなと思ってね。
松岡社長が出店を断った理由、それは金沢名所の一つでもある「近江町市場」の存在でした。今でこそ観光客向けな側面もあれど、当時は地元の人が普段使いする市場だったのだそう。新鮮で安い食材が沢山並び、外食よりも、家で食事を手作りする事が今よりも主流だった当時の、金沢市民の台所のようなところ。そんな場所の近くに惣菜店を出してもとてもかなわない、、そう思い、出店をためらったのですが。
岩井さんの情熱は冷めません。諦めず何度も「まつおか」にラブコールを送り続けました。それはそれは熱心に。
さすがの松岡社長も考え直さざるを得ないほどに。
社長:まぁ理由というか、一つチャレンジかな、と思ってね。いちかばちか、出してみてもいいかなって、考えが変わってきた。難しいだろうとは思うけど、ここでうまく行ったら他でもやっていけるんじゃないかってね。
松岡社長の決意の知らせを受け、諸手を挙げて喜んだ岩井さん。至れり尽くせりの厚遇で「まつおか」を迎えました。店舗スタッフの面接用に百貨店内の一室を用意してくれたほど。 って、私にはイマイチ凄さが分からないのですが、上司が「え゛~!」とのけぞっていたので、凄いことなのでしょう。
あの日あの時あの場所で岩井さんと大鍋が出会わなかったら。岩井さんのラブコールが続いていなかったら。「まつおか」の現在は少し違うものだったのかもしれません。
キッカケを作ってくれたもの
恐る恐るオープンしてみた「まつおか大和香林坊店」は、意外にも金沢の方々に受け、思っていた以上に好調でした。
社長:ストアーズレポートっていう、百貨店の業界誌って言うのかな、昔からやってる雑誌があってね。オープン2日目に取材に来たの。
取材班は「まつおか」の斬新な大鍋ディスプレイにおったまげ、何枚か写真を撮って行きました。そして、その雑誌社さんが主宰する百貨店向け研修会で「まつおか香林坊店」を紹介する流れに。
社長:研修会には全国から人が来るからね。「まつおか」の名前が広く知られるきっかけになった。実際にお店を見に来てくれた人もいたりね。
ここでも鍋ディスプレイが波を引き寄せたのですね。
考え抜いた先にポコンと生まれたビッグアイデア。コイツが起こす波ははこれでは終わりません。。。
大波キタ――(゚∀゚)――!!
香林坊店で自信を付けた「まつおか」。大きな転機となったのは、5号店となる「名古屋高島屋」への出店でした。
社長:当時の名古屋って、東京 - 大阪 の間で飛ばされちゃう事がほとんどで、注目を浴びることなんて無かった。だけど名古屋高島屋ができたことでね、全国の流通関係の人が見に来るようになった。
ある日、新宿伊勢丹のえらい人が、たまたま名古屋駅で下車、じゃあついでに~と名古屋高島屋に視察がてら寄ったそう。
そこで目に飛び込んだのが「まつおか」。ずらりと並ぶ大鍋に驚いて近寄ってみると、なんとまぁ、売られているのは素朴な和惣菜。デパ地下でひじきの煮物なんて売ってるよ。まじか。
なんじゃこりゃ!と驚いたえらい人は東京に戻るや否や、部下の人達に見て来たものを伝え、本当かいと名古屋入りした部下の人達にもなんじゃこりゃ連鎖発生。あれよあれよという間に出店が決まったのです。
社長:「東京のデパ地下にはまつおかみたいな惣菜店がない。是非出店を。」って言ってもらってね。びっくりしたけど、嬉しかった。
百貨店界の雄、新宿伊勢丹に出店したことを機に、他百貨店から次々と出店依頼が来るようになり、全国へ店舗展開が急速に進んでいったのでした。
初期のエピソードを伺うほどに、当時大鍋ディスプレイがいかに斬新であったか思い知らされます。ここまで力のあるイノベーション、生み出してみたいものです、、。
最難の地、それは
大波を乗りこなしながらも慎重さは忘れない松岡社長。
社長:新しい地域に店を出すときは慎重になるけど、京都は特にだったね。名古屋の濃い味付けが、京都でウケるとは思えなかったから。出すことはないだろうなと思っていた。
ちょうどそんな頃、「まつおか」のディスプレイ先生(※先生についてはコチラ!)が、京都の行きつけのお店に「まつおか」のお惣菜をお土産に持って行き大好評を得るという出来事が。タイミングが神。
先述の事を相談してみると、
「京料理はハレの日の料理どす。京都人かて普段から食べるものおまへん。普段はもっと気取らない食事どす。」
※真実ですがセリフはイメージです
と背中を押してくれ、まつおかの味で勝負する決心が付きました。
現在「まつおか」は京都伊勢丹店・京都高島屋店と市内に2店舗展開しています。地域の皆さまにご愛顧いただき、日々感謝です。
社長:まつおかの惣菜は ”白いごはんに合うおかず” が基本の考え。地域で多少の違いがあったとしても、これが日本人がほっとする組み合わせなんだよね。
ほんの一部のエピソードではありますが、こんなコトゴトをを経て、一人の主婦が始めた惣菜屋が全国に展開していったのでした。
「いったん広がり始めたら、そこからは早かった」とおっしゃっていましたが、目の前に現れた機を見極め、良しと見たらさっと動く。
そんな松岡社長だからこそ、乗りこなせた波だったのかなと思いました。
まだまだ、ぐんぐん進んでいく松岡社長。チャレンジは終わりません。
まつおかの歴史、まだこってりと続きます。カロリー過多。