寂しさと
「恋という偶発的なものに、賭けなければならない」(赤坂真理さん)
以下の記事で見つけた印象的な一文。
その通りだと思う。
最近の私はどうやら、もうしっかり自分のことを考えることもできない。
視野が狭く、独りぼっちの寂しさから一生懸命逃げようと必死だ。
ところが、寂しさは至る所に潜んでいて、腰を下ろしたデスクチェアの背もたれの後ろや、お風呂場のタオルケットの中、頭を乗せた枕の下から這い出てきて、私に必死に纏わりつく。
寂しさといつも二人でいる。
手元のスマートフォンを手がかりに、友人たちが自分と違っていかに一人ではなく、幸せそうに過ごしているかを想像する。
あるいは、友人じゃない人のそれを。なぜ交流しているか分からない人たち。私はその人たちのことを尊敬できないのに、なぜ一緒に遊んだら喋ったりするのだろうか。狂っているな、と自分で思う。ろくに感謝もせず、悪いところばかり気になる。相手と居るとダメージを受け、それをどう処理していいか分からないばかりに、相手のせいにしている。
一人は嫌だ、でも、傷つくのも嫌だ。
考えると、脳みそが擦り減るような、そんな感覚に悩まされている。