書けなければ終わりなのに 頭がずっと考えるのを嫌がる 草木に心躍らなくなったことは絶望だ 愛は希望だと思っていたが、愛などないのだと知る 恋は酩酊である ギリシャ神話の神々の話に、いかに親近相姦の多いことか…! 私が変なのだろう。気にするから駄目なんだ。 人間の本質は動物で、法に適合できず苦しむことは至極当然である。 衆…アメリカ合衆国。州ではないのは、人々の集まりを指すから。日本も衆の集まりでできており、鎖国前は国としての意識を持つ人は少なかったという。
「恋という偶発的なものに、賭けなければならない」(赤坂真理さん) 以下の記事で見つけた印象的な一文。 その通りだと思う。 最近の私はどうやら、もうしっかり自分のことを考えることもできない。 視野が狭く、独りぼっちの寂しさから一生懸命逃げようと必死だ。 ところが、寂しさは至る所に潜んでいて、腰を下ろしたデスクチェアの背もたれの後ろや、お風呂場のタオルケットの中、頭を乗せた枕の下から這い出てきて、私に必死に纏わりつく。 寂しさといつも二人でいる。 手元のスマートフォ
うるさい女が嫌いだ。私よりうるさい女を見たことがない。いや、私よりうるさい女は知っている。しかし、彼女たちはうるさくないのだ………。私は私が嫌いだ。 私が私を好きになるには 自分の書いた文章。書いた直後は、上手いと酔いしれている。酒など飲まぬのに、自分に溺れている。見返すとひどい。人からの評価がつかぬのも納得できる下手さだ。いや、他人からの評価など関係ないのだ。人生において。どれだけ侮辱され軽蔑されようと、自分の生き様が好きになれたら、生き易いだろう。 自分の文章を好き
猫のいびき。ぐおおと地を揺らす轟きの中、たまにすぅとかぷぅとか。リズムは一定で、ちょうど良い。私が話しかけると、相槌のように音が返ってくる。午後の日当たりに独り言つ。 無邪気な子どもは、私の書いた絵を見て、何度も「すごい、すごい!」と言った。その熱心な様子は、後光を足して思い返され、どうしようもなく私を生かす。 最期は山に眠りたい。私の憧れは山にある。木々、獣、虫、名もなき小さな動くもの、たくさんの生で蒸れる山。そこで、他のものの糧となり沈みたい。彼らの一部になれたら、ど
noteを書いていて、知り合いに見つかるのが怖い。 私の文章はいつもネガティブな一文で始まる。そして私の思考と同じように、数珠繋ぎに次の話題へと移っていく。これは私の良くないところだ。 自分がどうしても性別に抗えないことに辟易している。 私の中に存在する健康的な程度の異性性の比率。母は健康的な程度にあるよ、といった。私の突飛な質問に対し精一杯励まそうと言ってくれたのだったが、私はがっかりした。異性で生まれることに憧れている。だが、異性の世界をよく知らないから、そんなこと
書きたくない。課題などやりたくない。 始めてしまえば簡単かもしれないが、それでもやりたくない。 自分の進路がかかっているのに踏み出せない。私は誰かに助けを乞うて、自分を頑張らせることすら嫌なのだ。 人に助けを求める資格がない。迷惑をかけて、失望させる。楽しくない。私がしたいのはこんなことじゃない。 したくないことをどうやったらできるのか。悲しい。独りである。いま私を支配しているモノは、一体何なんだろう。 自分の文章が嫌いである。課題のために紡がれる言葉は、目を塞ぎた
知識を増やしたい。難解な文章が理解できるようになりたい。 頭の中に浮かぶ単語、何のことだったか思い出せない。 文章を書くのが苦手だ。レポートや論文は以ての外。夏休みの読書感想文は、泣きながら最終日にやっていた。 昔から、自分の書く言葉が嫌いだ。読み返すとむず痒くて、下手くそで、全て投げ出したい衝動に駆られた。 大学を辞めたい。でも、自分にコンプレックスを抱えさせたまま社会に放つのは得策ではない。これはただの逃避だ。 どちらにせよ、私が自分で選んだことを責任を持ってや