人を傷つけない自己表現なんてない。
5月末になり、やっと行きたいと思える会社から内定が出た。
3〜4月にかけて本命企業の最終面接に落ちまくり、不眠症になるくらい苦しんだのが、やっと報われた。
そんな気がして、死ぬほど嬉しかった。
だから、何も考えずに「内定が出て嬉しい」という趣旨のツイートをした。
すると、思っていたよりも多くの人から祝ってもらえて嬉しかった。
満たされた気持ちになった。
でも翌日、フォロワーさんの
「まだ内定出てない人がいることもわかって発言して欲しいなぁ…」という趣旨のツイートを見つけた。
それにハッとさせられた。
俺だって、早期選考で就活終わらせた奴らの旅行投稿とかにイラついて、Instagramのアプリを消したじゃんか。
Twitter本垢の、就活強者達の投稿を目にしたくなくて、そもそも見るだけだった本垢をログアウトしたじゃんか。
「きんせい」は、そういうしがらみから解放されて、ただ大好きな趣味を愛でるためだけのアカウントだったはずじゃんか。
同じような使い方をしてる人も多かったはずなのに、俺はなんてことをしてしまったんだろう。
この時に思い知らされた。
人は思っているより簡単に傷つく。
よく取り沙汰されるのは誹謗中傷だが、そんなに直接的な攻撃じゃなくても、無意識な自己表現はどこかで誰かを傷つけている。
誕生日を自分よりも沢山の人に祝われてるだけで。
ラジオに投稿が沢山採用されているだけで。
自分の好きなものに対する知識を凌駕されるだけで。
自分よりも投稿へのいいねが多いだけで。
「彼女ができた」と報告するだけで。
我を出すのは、承認欲求を満たしたいからだ。
承認欲求を満たすためには、形の違いこそあれ「自慢」することが必要だ。
「自慢」は、自分に何か優れたことがあるからするものだ。
それは、優れている自分を優れてない誰かと比較していることと同義だ。
だから、承認欲求を、我を出すことで昇華させようとしたら、必ず上下を生み出し、人を傷つける。
そのことに実感を持って気づいた時から、元から更新頻度の低かったSNSにおいて、更に我を出さないように気をつけるようになった。
「オードリーが好き」
「ラジオが好き」
「芸人が好き」
などの、当たり障りのないことだけ呟くようになった。
好きという表明だけなら、誰にも咎められない。そう思っていた。
でも、この前友人と喋っていて気付いた。
これでさえ、人を傷つける可能性を孕んでる。
俺が脱水症状になるくらい涙を流して深く感動した「明日のたりないふたり」というオンラインライブの良さが、全く分からなかったという知り合いがいた。
その人に対して「嘘でしょ…あの良さが分からないなんてあり得ないだろ…」と思ってしまった。
そこで気付いた。
俺の「好き」が、誰かの「嫌い」や「分からない」の可能性もあるんだ。
だとしたら、好きなものを「好き」というだけで、その良さが分からなかったり受け入れられない誰かを傷つける可能性がある。
だとしたら、人を傷つけないためにはどうすればいいのだろうか?
自我を少しでも出したら、誰かが傷つくかもしれないなら、そんなこと不可能なのではないか?
そんなことをずっとごちゃごちゃ考えていて、自己表現することが怖くなった。
でも、考えすぎて悟った。
傷つく誰かをを考え出したらキリがない。
人を傷つけない方法なんて、この世に存在しない。
人を傷つけないために、全ての関わりを絶って家に閉じこもっても、関係を絶ったことで傷つけてしまう人がいる。
もう既に20年以上生きて、少なくない人間と繋がってしまっている以上、自分の一挙手一投足は常に誰かを傷つける危険性を避けては通れない。
人間は生きてるだけで誰かを傷つけてる。
そんな当たり前のことにやっと気づけた。
言葉で理解してたつもりだったけど、やっと自分の頭に実感を伴ってインプットされた。
なんで俺がこんな当たり前のことに気づくのが遅れたのかと言えば、俺はずっと被害者だと思っていたからだ。
いじめられて、理解されなくて、可哀想な人間だと思っていたからだ。
でも、俺も加害者なんだ。
自分の言動で、これまでもこれからも誰かを傷つけていくんだ。
それを踏まえて、内定ツイートを見返した。
俺のことを全く知らないにも関わらず。暖かいフォロワーの方々は、「おめでとうございます!」とリプライで声をかけてくださった。
それが社交辞令であれ、承認欲求が満たされるし、嬉しい。
我を出したことで誰かを傷つけたことも事実だけど、リプライを嬉しいと思っていることも事実だ。
だからこれからの俺は、誰かを傷つけるかもしれないけど、そのリスクを承知してでも発信したいことだけを言葉にしようと決めた。
その天秤が傾かなければ、自己表現をしない。
その程度の内容だったと思うようにする。
そう決めると、なかなかそのハードルを超えないから、めちゃくちゃ表現しづらくなったのは本末転倒な気もするけど。
でも、これがスタートライン。
何をしても誰かを傷つける世界で生きていくための、第一歩だと思った。
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