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アルドノア・ゼロ(Re+)に寄せて

本とアニメが好きです。娯楽の少ない田舎で外遊びに背を向けて子供部屋で本を読んで育ちました。身長と視力が犠牲になりました。

都会で暮らすようになり、年齢を重ね、財布と行動の自由度が増し、インターネットの活用法に慣れるにつれてどこに出しても恥ずかしい元気なオタクに成長しました。

さて、好きなアニメを聞かれたり、聞かれていなくても勝手に自己紹介するとき、その時々に観ている作品と共に必ずあげる思い出深い作品がいくつかあります。

その一つが、「アルドノア・ゼロ」です。2014年7-9月と2015年1-3月の分割2クール放送のテレビアニメ。原作虚淵玄さん、監督あおきえいさん、キャラクター原案志村貴子さん、音楽澤野弘之さん。放送はTOKYO MX系列ですが地上波が日によって映らない森の中に住んでいた私はBS11で録画して観ていました、まだ制服を着ていた頃の話です。BS11には今も昔も大層お世話になっています、ありがとう。

アルドノア・ゼロ リアタイ時の思い出

きっかけは確か、前クールに観ていたアニメのCMでの予告。右上に四角の囲いで新番組って書いてあるあれだと思います。当時はそういった予告とか、前番組の連続録画を切り忘れてたまたま取れていたとかで出会ったアニメがいくつかありました、今は大抵ネットで知ってサブスクor録画なので、書いていて懐かしいです。

オレンジ色とベージュの硬派なデザインのロボット(当時は知る由もありませんがアレイオンとスレイプニールですね)が銃撃しているのがかっこよくて、当時一緒にアニメを観ていた父と共に面白そうだね、と一話を予約したのだと記憶しています。

アルドノア・ゼロを契機にロボットアニメが好きになり、後々ガンダムにハマりますが、当時はマクロスFやシドニアの騎士をそこそこ楽しく観たことがある程度。あの年代特有のみんなの話題についていきたいという思いと、コアな趣味を気取りたい気持ちが複雑に同居していた時期でもあったので、ともすれば興味ないと跳ね除けてしまう可能性だってあったのに、もう記憶も朧げな予告映像になぜか無性に惹きつけられて録画した一話。

本当に本当に面白かった。

火星から親善のために訪れたアセイラム姫の車にミサイルが落ちた瞬間の衝撃、この話は絶対に面白いというワクワクをまだ思い出せる気がします。

まず戦闘機がかっこいい。アレイオンとスレイプニールの量産型らしい無骨さがたまらない。10年越しに劇場で観ても色褪せないくらいの綺麗な映像とアクション。

そして主人公の界塚伊奈帆のキャラクターが魅力的。
「理屈は合ってる」
「僕は、一番可能性が高いことをしたい」
というゆきねえ(界塚ユキ)とのやりとりに象徴されるような、徹底した合理性は、バトルものの主人公像としては比較的珍しかったように思います。

科学と論理性に基づいて、スーパーテクノロジーを備える火星のカタフラクトを倒していく様が小気味よく、また、SFの醍醐味でもある現実と地続きにあるが非現実的である、という世界観が彼の説明で補強されて好奇心を駆り立ててくれました。私のSF好き、ひいては理系進学も確実にこの作品の影響が大きいです。

界塚伊奈帆、数年おきにTwitterで話題になる初恋の男、とは少し違いますが私の憧れでした。

ヴァース帝国と軌道騎士たちの揚陸城やカタフラクトが少しファンタジックな設定であることも、程よく作品にとっつきやすくしてくれていたように思います。

私は地球のカタフラクトが大好きですが、火星のカタフラクトもどれも個性的で魅力的でした。当時は知る由もありませんでしたが、というかロボアニ好きです、と一応言えるくらいにはそこそこの作品をかじった今も全部はわかりませんが、色々な作品のオマージュがたくさんありますよね。書き連ねるほどこの作品の魅力と、そして製作者の方達が傾けてくださった熱意を実感します。

音楽とキャラクターデザインも、名前の時点で言わずもがなかもしれませんが非常に魅力的。Kalafinaさんのheavenly blue はそこから数年毎回カラオケで歌う曲になりました。聴くだけで戦闘シーンの興奮を思い出す澤野弘之さんのサウンドトラックも今も聴きます。後々ガンダムUCを観た時、絶対澤野さんだ! 嬉しい! と調べた記憶があります。
少し後に、志村貴子さんの「淡島百景」という漫画にハマりました。あるキャラクターがマグバレッジ艦長にそっくり、と思っていたのですが数年後にきちんと調べて驚きました。大好きな作家さんです。

少し本題からそれますが、スレインがクルーテオ卿に拷問されるシーンは深層心理で私の何かしらの嗜好を狂わせたような気がしています、あのシーンに何かしらの衝撃を受けた人、絶対たくさんいるはず。

具体例がそれでいいのか? とは思いますが、間違いなく、私の人生に様々な根深い影響を与えた作品です。恐ろしい。

すっかりハマって毎週楽しみにしていました。

第一クールがなかなかに気になる終わり方をしたので、第二クールが始まるまでの数ヶ月間は本当に気が気でなかった。

その間に私は人生初のアニメイトに行き、二期告知のフライヤーを得て、ギミックが色々ある公式サイトに興奮したりしていました。おそらくギミックの全てを把握してはいないのですが、あれも素敵な仕掛けだったと思います。

第二クールは監督がインタビューでピカレスクロマンをやりたかったと仰っていて納得しましたが、第一クールに比べてより各人物像、特にスレイン、レムリナ姫をはじめとする火星側にスポットが当たるようになります。

先述の通りロボットアクションと伊奈帆が好きだった私は少々退屈している時もあったような気もしますが、物語がどんな結末を迎えるのか、という圧倒的なフックがありましたし、やはりアクションは美麗だったので毎週楽しく観ていました。

そして物語はカタルシスを果て最終話へ。怒涛の展開で面白かったのですが、正直な話をすると当時はあまり納得がいきませんでした。理由はシンプル。伊奈帆とセラムさんにハッピーエンドを迎えて欲しかった!!笑

けれどもそこを差し引いたとしてもそれ以降私の大好きな作品の座にアルドノア・ゼロはずっと鎮座することになりました。

その後色々なロボアニを観て、様々なアニメ作品に熱中しましたがそれは今も変わりません。

そして10年後

さてそれから10年、先述の通り立派なオタクになり、日々Twitterを徘徊している私の元にもたらされた「アルドノア・ゼロ」のBlu-ray Boxが出ますよ、という情報。

数年前に再放送を観て改めて好きな作品であることを再確認しつつ、当時とは違う観点を得た自分の変化を感じたりはしていましたが、なぜ今? という疑問は当然浮かびました。10周年だから? そうなのか懐かしいな、とは終われなかった。

問題はその収録内容。「雨の断章」って何???? 慌ててTwitterを漁りました。何かのイベントでキャストさん方が上映した朗読劇だそうです。必死で探して、一時間以内に話の概要のネタバレまで辿り着きました。

なるほど、欲しい。けどお値段とんでもないし我が家にBlu-rayプレイヤーは存在しない。とりあえずしばらく悩もう、と思いつつアルドノア・ゼロの公式アカウントをフォローしました。

その当時二回目の再放送をしていたのもその時知り悔しい思いをしました。アルドノア・ゼロ、人に勧めたいのに基本的にサブスクにないのが難点なのです。話がそれました。

最終話で新規映像含む予告が流れると言うのでとりあえず録画、結局リアタイしましたが、

期間限定上映?!?!

TVの前で叫んだし、Twitterでも複数のアカウントで呻きました。そんな嬉しいことがあっていいのか。ちょうど年末〜年明けにかけて私生活がとんでもなく忙しかったのですが、2月末には手が空くことがわかっていました。絶対に観に行くと誓ってスケジュールに書き込みました。

そしてその約1ヶ月後、

A5サイズポスター一体型前売り券?!

徐々に円盤のサイズが巨大化していく上に、比較的様子がおかしいビジュアルやグッズを出すとある音楽ジャンルにハマったことで耐性がついたと思っていた私も首を傾げました。

どうやって持って帰るの、劇場に当日これ持ってくの?? って悩んでたらフォロワーがダイソーにA5サイズの硬質ケースがあると教えてくれました。ちなみにこのポスター、ポスター部分がA5なのでチケット部分含めるとA5のケースには入りません。当日ケースを買ってからそれを知りました、愉快ですね。チケット部分は流石に切り取れるようになっていました、よかった。

通常のムビチケとスタバのドリンクとの比較 改めて大きい

先程話題にしたのとは別のジャンルで、特典付きムビチケが始発で行っても買えないという経験および入場特典のために毎週映画館通いをしていたので、怯えながら朝イチで映画館に行きましたがすんなり買えました。

この頃になって、Twitterが勝手に関心があるだろうとサジェストしてくるツイートによって、アルドノア・ゼロを今も愛してやまない人がたくさんいること、女性人気も(色々な意味で)なかなか高いということを知りました。制服を着ていた頃はファン同士の交流など想像すらつかなかったので、10年越しに嬉しい気持ちになりました。

そして待ちに待った2025/2/28

朝イチの回を観に行きました。電車が遅延して席取れるかな、とバタバタしながら劇場に入った時点でもう楽しくなりました。
私がこれから買おうとしているオレンジ色のドリンクを持っている人がたくさんいる。グッズを見る人、コースターを開封する人。待合で予告映像が流れると一斉に振り返る人たち。入場が開始されると一斉に並んで特典を貰ってスクリーンがある階に向かうエスカレーターに列をなす。

性別も年齢も様々。当時は知らなかったけど、きっと10年前から待っていた人たちがこんなにたくさんいたんだと目の当たりにしました。

映画の感想(軽微なネタバレ含)

2クールをどうまとめるのか、と思っていましたがハイライトを凝縮したような総集編で、懐かしく観ました。伊奈帆の無愛想な語り口と高校生らしからぬ冷静さに当時の気持ちを思い出しました。
話をわかりやすくするために割と斬新に順番を入れ替えているのもの印象的でした。

印象的だったのは先述の
「理屈は合ってる」
「理屈しかあってないじゃない!」
のくだり、

「怖くない怖くない」

「不見咲くん、君がモテない理由を教えてあげましょうか」

あたりです。

私は再放送を見返した時点で鞠戸大尉が大好きになっていたので、彼が皮肉めいた口調であらすじを説明する役割をになっていたのは嬉しかったです。欲を言えばもう少し出番が欲しかったですが不満というほどではないです、笑

どちらかと言うと戦闘よりも人物にスポットライトを当てた、第二クールに寄り添った構成だったので、時間のこともあり第一クールの各話ごとの戦闘のカットが多かったのは残念でしたが、鮮やかな戦闘シーンが10年経っても色褪せていないことには衝撃を受けました。10年前にこのハイクオリティなSF作品に出会えて本当によかった。

そして雨の断章。正確な時間は興奮の最中かつ時計も見ていないので覚えていないですが、30分以上尺があった気がします。想像以上のボリュームで嬉しかったです。

一言で言うと、予想よりもしっとりしていてびっくりしました。タイトルや作中の降り続く雨によく似合う、スレインのその後にじっくり向き合った見応えのある新規映像でした。

伊奈帆とスレインの対話だけでなく、レムリナ姫、スレイン、ハークライトの描かれていなかった部分の回想が描かれたことでスレインが背負っているものに深みが出ていました。

そして、韻子やカーム、話だけでしたがミーコやライエも元気にしていると聞けたこと、そして何よりグッと大人っぽくなったエデルリッゾとアセイラム女王の対話が観れたことが本当に嬉しかった。

二人の対話のみで終わると思っていたので、最後の展開は驚きでした。スレインを変えようとしていた伊奈帆も、彼との対話で変化していったという示唆と私は受け取りました。

その瞬間に、本当の意味でアルドノア・ゼロが2024年に戻ってきてくれた、と実感しました。関係者の方々、本当に本当にありがとうございます。

上映後、胸いっぱいの私のツイートをご覧ください。ちなみに全然違うジャンルのオタ活メインのアカウントです。堪えきれなかった。

本当に誰かれ構わず話しかけたかった。誰かと興奮を共有したかった。

結局こらえきれずに、横断幕の写真を撮りに行った時に隣で写真撮ってたお姉さんにちょっと話しかけました、「めっちゃよかったですよね……」って。届かないと思いますが不審者の相手してくれてありがとうございます、すいませんでした。私は入場特典のスレインを持って写真を撮っていたのですが、スレイン推しのお姉さんと発覚したので姫様と交換しました、それで帳消しにしてもらえると助かります、笑

パンフレットを買いグッズを買い、しばらく茫然自失で一休みするカフェを探して地下街を彷徨った果てに映画館の地階にあるスタバに戻り、注文前に席とりを忘れたりその後も何だかぼんやりしながら帰宅したらもう夕方でした。アルドノア・ゼロ(Re+)が与えた衝撃、一人で受け止めるにはやや過剰でした。

最後に アルドノア・ゼロの再発見した好きなところ

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。話が長いことを自覚も自称もしていますがそれにしたって長い。ここまで読んでくれる人存在しないんじゃないかと思うくらいです、いたらすいません、ありがとうございます。

再放送を観て、そして今回の総集編を観て、私を惹きつけてやまなかったアルドノア・ゼロの魅力は、単に非常に優れたSF作品であるというだけでなく、人物の描き方にもあるのだと気がつきました。

この話をしたいがために、ツイートでは長文になりすぎるのでnoteを書くことにしたのですが、当初の目的に至るまでにこんなに書いてしまいました。

ミソは、当時は腑に落ちなかった
「伊奈帆とセラムさんは結ばれないどころか再会もしていないこと」
そしてそれと同時に
「スレインもアセイラム姫と結ばれないし再会もできないこと」
だと思います。

「これは戦争だ」「戦争はどうしたら終わるか」と説いていた伊奈帆の、「友達」であるセラムさん救出への奔走は、ヒューマンドラマとしては驚くべき流れではないものの、戦場での合理性には大いに反しています。それは、アナリティカルエンジンの台詞でより明確化されます。
「アセイラム姫を自己と同一なものと認識し、その安全を最優先に願っている」
この祈りは、どうしようもないほどに愛ではないかと、私は思います。

クランカインの助太刀により、アナリティカルエンジンの指示にアセイラム姫が最後まで従うことはありません。韻子に連絡が来ていないことを確認した伊奈帆はしかし、そのまま引き下がります。

自分が救ったのでなくても、彼女の無事が確保できればそれでいいから。

久しぶりに劇場で見た伊奈帆の顔が随分スッキリしていることが心に残っています。雨の断章でロシア以来会っていない、と言う彼は少し拗ねているようにも見えましたが。

この時のセラムさんから伊奈帆への頼みも、同じような行動原理のもとにあると言えるでしょう。世界を忙しく飛び回っているセラムさんは、事実確認こそしていないかもしれませんがおそらく伊奈帆がスレインを救ったことは確信している、しかしそれを確かめたり会いに行ったりはしません。

少し形は違いますが、スレインの「姫は望まないとわかっているが新世界の王に彼女を据える」という考えも、彼女の幸せを一身に願った結果の歪んだ結論、と言えるでしょう。

彼らだけではありません。ハークライトやレムリナ姫のスレインに向ける祈り、界塚ユキの弟への想い、かなり屈折はしているもののザーツバルムが後半スレインに向けた何かも、同じような色をしているように私には思えます。

このように、
誰かが大切な人に向ける切実な「幸せになってほしい」という祈りの美しさと残酷さを、丁寧に描いた作品であることがこの作品の大きな魅力の一つであると思います。

その祈りは時に、「そばにいたい」という願いを犠牲にしてでも、その人の幸せを叶えんとするほどに、切実で純粋なものです。

彼らの多くは実際に、共に幸せになることを投げ打ってその願いを叶えんとしました。

そしてそれを、きっと後悔はしていない。

伊奈帆とセラムさんが結ばれてほしかった、と先述してしまったので誤解のないように言いますが、彼女とクランカインの結婚が不幸なものだと主張したいわけではありません。

彼女は彼女の合理性に基づいて最善の決断をしたのでしょうから後悔はないでしょうし、彼もその伴侶にふさわしい人物と思います。

前述の感情は、恋愛感情であるとは限らないけれど、どうしようもなく愛や恋ではないでしょうか。

少しもうまく表現できた試しはないですが、私はそういうものの輝きを愛しているし、それを描きたくて創作をしている気がします。多感な時期にみた作品なので、無意識のうちに私の考え方にも大きな影響を与えたのだろうと思います。改めて、この作品に出会ってよかった。

振り返って感じたのでここに書き留めておきます。

昨日観たことを思い出しながら書きましたが、かなり記憶が欠損しているので、また行こうかな。二週目特典とかあるのでしょうか?笑

もしご興味があったり、テレビシリーズを観たことがあるけど、と迷われている方がいましたらぜひ、強くお勧めします。期間限定なのでお早めに。

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