『アフターダーク』村上春樹
『アフターダーク』の不思議さは「語り」が握っている。
深夜のデニーズで、浅井マリはひとりキャップを被り本を読んでいる。中国語を専攻している19の学生である彼女に声をかけたのは彼女の姉・エリの友人を名乗る若い男だった。二人はとりとめのない会話をして別れるのだが、その後、マリは近くのラブホテルで起こった騒動に巻きこまれる。ひとりはふたり、よにん、さんにん、またふたりと場所は移り変わり、マリは様々な夜に溶け合っていく。それを、奇妙な語り手「私たち」は細やかに言葉を尽くす。
「私たちの視点は架空のカメラとして、部屋の中にあるそのような事物を、ひとつひとつ拾い上げ、時間をかけて丹念に映し出していく。私たちは目に見えない無名の間入者である」
その「私たち」は、マリと同時に、同じ時間、部屋で眠り続ける姉のエリの姿もカメラ(解像度の高い目)で追いかける。眠っていたはずのエリはふと目を離した隙に別の時空へ迷いこんでいる。
不安定で何が起きているのか、ここからどうやって夜が開いていくのか、予想できない。マリの具体的な体験とエリの抽象的な観察。無数の夜の粒子を「私たち」は舐め続ける。心許なさはラストまで払拭されず、まさに「物語」が動きだそうかという直前で小説は終わる。夜明けの光が私たちの目に届く前に機械が感知しモニターを閉じるようプログラムされているかのよう。
ただ一つ夜を消滅しただけ。それだけのこと。