表現物の持つ力
結構Twitterで「表現の自由」問題が取り沙汰されるのを見るので、その「表現」について少し述べたいと思う。
目下、Twitterで話題になっていたのは「アンパンマンが子供の暴力性を促すという懸念」だった。
アンパンマンは最後アンパンチでバイキンマンを倒す。お決まりのシーンが問題視されたわけだ。
あの誰もが知る国民的幼児向けアニメにも、検閲が入ったか。
これには、私が観測しただけでも多くの人間が批判していた。
推測するに、表現の自由問題に幾許でも関心のある人間のうちの実に多くがこの問題提起に否定的な反応を示していたと思われる。
それはつまり、彼らの意見は「アンパンチのシーンごときで暴力性を促すなど有り得ない」ということだ。
中にはそういった創作物の影響全てを否定している人の存在さえちらつくかのよう。
そういう人からは、決まって「現実と創作は違う」のような言葉を聞く。
だが、創作物とはそんな単純なものではない。
その、現実と違うはずの創作に、人は心を揺さぶられたり、憧れたり、悲しんだり、笑ったり、嫌悪したりする。これらの感情が現実世界や自分の人生に照らされて発生することは何ら不自然なことではなく、当たり前のように起こっている。「現実と創作は違う」の「違う」とは何か。どのように違うのか。私は問いたい。
この話題において、現実と創作は簡単には切り離せないものだ。
私は、表現による上記の効果を認めながら、幼児への悪影響は頑なに否定する人には疑問がある。
幼児は、まだそういう分別をつける脳も比較的弱いと思われる。
アンパンマンはシリアスな世界観ではないが、アンパンチが拳で撃退しているシーンであるのは事実だ。
アンパンチが槍玉に挙がるのを脊髄反射で馬鹿馬鹿しいと思ってしまう人は、脳死アニメにメスが入るのが嫌なのかよほど感情型であるか隠れたインモラルという問題への視点が全く無いかのどれかではないだろうか。立ち止まって考えて欲しいと思う。