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約30年間にありがとう(後編)

前編より

変わりゆく「田舎」

 8年前に義父が亡くなった。にぎやかだった家が少し静かになった。酒が好きだった義父と一緒に飲むことができなくなったのが、とても残念で寂しかった。義父が亡くなってからも、いつもニコニコと迎えてくれる義母に定期的に会いにいったのだが、一昨年に義母が脳梗塞になり独り暮らしができなくなってしまった。

 奈良の家の近所の施設に空きがあり、義母はそこに入る決心をしてくれた。娘である妻が近くにいると何かと安心だから、と。
 しようがないとはいえ、長年住み慣れた家を突然離れざるをえなくなったのは、さぞかし辛かったことだろう。義母は治療とリハビリを経て昨年の夏に無事退院し、住み慣れた家で一晩を過ごしてから奈良にやってきた。宇都宮の家は空き家になってしまった。

 それから2・3ヶ月ごとのペースで家と庭のメンテのために、宇都宮に妻と一緒に、あるいはひとりで通った。あれだけ賑やかだった家のなかが嘘のように静かで、その寂しさと悲しさが肺や気管を押しつぶすかのような感覚となって僕を襲う。ひとりでいるとなおさらだ。

 できれば大好きな「田舎」をそのままにしておきたいけれど、奈良から遠く離れた家を管理し続けるのは様々な負担が大きくて現実的ではない。だから義母と妻と相談し、思い切って手放す方向で話を進めることにした。
 先月その関係で宇都宮に来る必要があり妻と数泊した。そのときに電気とガスを止める手続きもしたので、これが「田舎」で過ごす最後の時間となった。

 家の写真をいっぱい撮った。この家には良い思い出と楽しい思い出しかない。家がなくなっても、その記憶ができるだけ無くならないよう、色褪せて消えてしまわないよう、妻とふたりで何枚も何枚も撮影した。ふたりとも無言で夢中で。静かな家の中にシャッター音だけが響いた。

 そして先日、不動産業者の方との打ち合わせと年末の墓参りのために妻とやってきた。業者さんにお願いした家財の処分も少しずつ始まっていたが、家のなかは前回とほぼ変わらない状態だった。なんだか少しホッとした。

 ホテルで一泊した翌朝、再び訪れて家のなかや庭を見てまわった。夜の冷え込みそのままに家のなかはとても冷たく、あらためて住む人がいなくなったのだということを痛感した。

感謝

 子供のときに憧れた「田舎」をまさに実現してくれたこの家と妻の両親、そしてその「田舎」という役目を終えた家に心からの感謝を込めて、玄関で妻と一緒に手を合わせ「ありがとう」と言って家を出た。
 振り返ると「またおいで。気をつけてね」といつも手を振って見送ってくれる両親が家の前にいるような気がして、またすこし胸が苦しくなった。

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