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おっかないお金

2021年10月某日。晴れ。26℃。


23.5歳。漸くクレジットカードを作った。それまではキャッシュ一択。LINE Payにお金が入っているのも、割り勘のため。さすがに電車に乗る際はSuicaをかざしていたけど、それはプリペイドカードだからね。先の記事で、「この先もクレジットカードを作るつもりもない」なんて書いてしまった。でもさ、担当のお姉さんが可愛かったんだからしょうがないじゃないか。

そうは言ってもまだまだキャッシュ教の信者である。ここ最近は、QRコード/バーコード決済やクレジットカードの布教活動が活発で、キャッシュ教は淘汰されつつあるが、改宗しようなんてこれっぽっちも思わない。

こんなことを言ったら破門になるかもしれないが、実はそもそもキャッシュ自体を信じ切れていない。にも関わらず、更にクレジットカード=信用券やコード決済なんて胡散臭い名前のモノを噛ませて取引するなんてもう何が何だか分からない。各社こぞって必死に広告なんか打つもんだから、ますます怪しい臭いがする。便利で害のないものなら、そんなことしなくたって、、と思ってしまうのである。そもそも歴史を遡れば、お金なんてものはもともとなかったはずだ。生まれてからずっと、お金が身の回りにありふれているせいで、(こう書くと誤解が生まれそう、決してお金持ちの生まれではない、)お金に慣れてしまっただけ、お金がそこにあることに疑問を抱かなかっただけ。ただお金がないと、今日を生きることすらできない。そこで渋々、キャッシュ教を崇拝しているわけ。

つい文句を垂れてしまったが、これでも一人のキャッシュ教徒として、現金を使ったときの、身体の一部を捥がれている感覚、引き裂かれている感覚、あの感覚は持ち合わせている。そしてこの先も、お金持ちになっても、というか死ぬまで、持ち合わせていたい。なんなら、大きな買い物をしたせいで、四肢を引き千切られて死んでしまいたい。きっと人間が感じなきゃいけないものだと思うし、それが麻痺しているのはバカだとまでは言わないけど、退化している気がする。

物々交換を実際にしたことはないけど、なんとなく不便だろうとは思う。それをより簡易にすべく貨幣を造った、うんうんそこまでも分かる。その貨幣を持ち歩くのが面倒だからクレジットカードを発行した、うーん、まあぎり分からなくもない。そしてそのクレジットカードも邪魔くさいから、もう一層のことお金なくて無くしてしまえ、えええ、ちょっと待ってくださいよ。


クレジットカードを手にして2か月後、ついにその時が来た。とあるブランドのとあるジャケットに一目惚れした僕は、その場に現金を持ち合わせておらず、財布から切り札を召喚、そして「一括で」と言い放って初陣を完勝で締めくくった。その間わずか3秒。そして約1か月後、口座から使った分だけお金が消えていた。ああ、何も感じない。これがクレジットカードのパワーなのか。切り札というのは伊達じゃない。そして、思った。めちゃくちゃ便利じゃん。現金なくても商品貰えちゃうの?サービス受けられんの?信用マジ半端ねえ。ええ?このサービス誰が考えたの、天才じゃん。ウケる!

ほら。やっぱり退化している。




追記。このままではまずい気がしているので、学びます。せっかく先輩におススメしてもらったし。


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