まんがガタガタ道8 プロ!
連載の知らせを受けたのは、掲載の約半年前。そこからアシスタントを辞める旨を伝え、新しいアシスタントと交代する形で退社。漫画家アシスタントとしては最良の形で辞める事が出来ました。ちょうど同時期に先輩アシスタントも小学館で連載が始まり、おい、辞めたんだったらちょっと手伝ってくれと駆り出されたりも。い、いや、自分の事で手一杯なのにーーと抵抗するも、そこは脳内泥棒させてもらった先輩への恩もあり助っ人に入るも、キツイ!今まで多くのスタッフの中で自由にチーフとして描いてたのとは違い、超緊張感ある仕事。キッツイわぁ、、、。い、いや、半年後には自分がこういう目に遭うのかと思うと、プロ漫画家になった喜びよりも責任感の重圧でどうにかなりそうな、本当にそんな気分でした。
月刊少年ジャンプ、あばれ花組というタイトルで、原作者は森伸一郎さん。これが私のプロ漫画家の出発点です。当時のファンには申し訳ないようなネタを暴露。実はあばれ花組というタイトルではなかったんです!
おどれ鯉六
(^◇^;)。え、えっと、、、踊れ?おんどれぇ??踊らされるってあんまイメージ良くないんじゃない??、、と原作者の前でど新人の私がしかめっ面しまくる暴挙。じゃタイトル変えよう!と軽いノリの編集長。私が池上遼一先生の男組が好きという流れから、よし、花組にしよう!、、、と(^◇^;)
え、えーーっと、、ちょ、、、
花組だけじゃあれだな。あばれ花組でどうだ??、、、え、えーーーーーっっと、、、もういいや。好きしてw、、と酒の入った頭で深く考えるのはやめた。これがタイトル誕生秘話です(おい)
そして原作をもらった時に描きたくねぇーーと思ったのがこれ。
い、いや、中学生だろ?こいつ(^◇^;)こんなもんもんを毎回見せゴマで描かされたら、えらい大変すぎる。つか少年誌で主人公が刺青って問題あるんじゃ??、、、という事でこの設定は無しに。
あ、当時の原作はこのように絵コンテで渡されてました。私がど新人という事もあり、コマ割り、構成の信用がおけないという事からかと。これ見て勉強しなさい、という意味もあったと思うが、、、
おい、、、。この設定、、、あの漫画のパクリじゃねえか!!これを編集長に言うと、俺は見た事ないから知らない。これを元に押山くん流に描けばいいんだよと。ちょっとまてぇえええ!!!!!描けん!!!いくらなんでもパクリをどう直そうが描けない!!!描きたくない!!!担当編集者と協議して、このシーンは別の小道具に置き換えられました。
はぁ、、、連載一回目の打ち合わせからこんな調子。初っ端からストレスゲージがジワジワと上がっていくのを感じる。
原作付き連載は漫画家の自由には描けないので、ある意味職人的要素も必要になってきます。私はそれがあまりない。担当さんからある程度は好きに自由に直していいよと言われ、んじゃ私だったらここはこうするああするで修正したネームを見せたら、直しすぎだ!と言われた事も。加減がわからん。時間はどんどん過ぎていくし、焦りしかない。とはいえこの時点ではまだ締め切りまで5ヶ月くらいだったか。最初の1話目はアシスタント無しで一人で完成までこぎつける。2話目は前にアシスタントしていた後輩が暇そうだったので仕上げだけ手伝ってもらった。
締め切りまで3ヶ月のペースで描き溜めを続け、次の台帳が出来てないのでページ数が分からないと。かなり余裕持った進行でしたが、気持ちは焦りまくり、カレンダーと睨めっこしながらの執筆作業でした。まだペースも分かってない。ここからここまではネーム。ここからここまではキャラ線と全て計画通りに進行。そして雑誌掲載された時に初めて漫画家になったーという実感が持てました。
が!!!!描き直してぇえええ!!!の気持ちがすごい。たった数カ月前の原稿だが、今だったらここはこう処理する。もっとデッサンしっかりとる。なんだこりゃああああという葛藤が襲いまくり。
これが私がプロになった実感です(^◇^;)
でも掲載されてしまったら、もう後戻りは出来ない。コミックスもいつも読み返してないです。読むと自虐するから、、、。コミックス修正作業で描き直せばいいやんと思うでしょうが、一度雑誌に載ったものは、もうそのままでいいというのが私の思い。、、、単に面倒だからというのは内緒でw