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まんがガタガタ道12 原作者の意義

漫画には自分で物語を考える人と、原作を付けられて作画するタイプに分けられる。私の連載デビューは後者。世に言う名作漫画のあれこれも原作が付いている事が多い。しかし名作漫画の裏で、原作者との確執も多く噂で耳にしている。

このあばれ花組に原作は必要だったのか?確かに連載デビューのキッカケにはなれたし、今でもファンでしたと言ってくれる元ヤンのおっさんからも声をかけられる。でも原作者ってヤンキー漫画読んで、ブームに乗ってネタをパクったりするだけのもんじゃないだろうに。どこかで読んだような見たような絵の入ったネーム原作を渡されて、さあ描けと言われてもストレスゲージが溜まる一方。そんな中、編集部で青森に住んでいる原作者と電話で打ち合わせする事になった。担当からは適当に聞き流していいから、と言われ少しは気が楽になったが、電話口の原作者は俺が漫画を教えてやってるんだ!の態度で超上から目線。いや、自分もアシスタント経験で諸々下積みはしているし、なにもかも分かっている事ばかりの事をしつこく言ってくる。そして、、、担当から押山に教育してやれと言われてる!、、、っておい!!担当は聞き流せと言ったのに、原作者には教育しろと言ってるだ?ここでストレスゲージが振り切れた!

編集部でかなり怒声をあげながら話していたらしい。編集長が飛んできて、あれは喧嘩してるんじゃないか??と心配な声が。担当は、いや、打ち合わせですから大丈夫です。、、って、あんたのせいだろうが!!!!(#`Д´)ノノ┻┻;:'、・゙; ┳┳ヾ

もうね、、普通に酒飲んだだけじゃ収まらない。担当は飲みに連れて行ってくれたが、どうにもこうにも収まらない。当時はまだカラオケもスナックやフィリピンパブくらいにしかなかったような時代。私自身もほとんど歌った事がないが、甲斐バンドのHEROを怒鳴り声で絶叫。ねーちゃんたちからヒーローと名前付けられて、はっ、、何やってんだ、、と我に帰る。

こんな感じでもう原作者自体の印象がすごく悪い。61ページの作画原稿に10ページくらいのシナリオ。(途中からネームではなくシナリオで送ってくるようになった)喧嘩シーンは自由に描いてくださいとだけ。原作の段階で修正する事もなく、作画の方で勝手に直してください、と丸投げ状態。担当との打ち合わせの最初は、はぁ、、どうしましょうか、から始まる。

もう二度と原作付きはやらないぞと決めたのだが、ヤングジャンプで野人岡野雅行物語を原作付きで描く事になった。

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ヤングジャンプの連載足がかり的な作品だったので、これは是非にでもやりたいと。しかし原作者付き。花組の時のストレスゲージがまた溜まるんじゃないかと心配もしたが、原作者の福島さんとお会いしてイメージがガラッと変わる。

仕事をしてくれる(当然だけど)。取材をしてくれる。資料集めてくれる。漫画のネームには描けなかったような細かい資料、岡野本人への取材や実家の母親への取材、チームメートへの取材、高校時代の島根県の高校への取材。また島根では図書館まで行き、当時の新聞を片っぱしから調べる。

こ、これが原作者か!!!と目を疑った。いや、もう尊敬に値する。漫画家の手の届かない知識へのフォロー。人柄もすごく気さくな方で、よく所沢の航空公園に呼び出され、ボール蹴りましょう!とサッカーのパス練習みたいな運動も一緒にしたり。映画の話でも盛り上がり、この映画いいんですよーと、仲代達矢主演の切腹のビデオを貸してもらったり。浦和レッズの試合も一緒に何度か見に行きました。

本誌読みきりの作品でしたが、この後増刊号でも続きコミックス一冊分の仕事になりました。

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漫画家の知識だけでは足りない部分、専門の知識や発想などを熟知して、一緒に仕事をしていると感じさせてくれるのが原作者。そういう人も実際にいるんだぁーと考えを改め、この先は原作付きの仕事を多く請けるようになりました。

もう大丈夫。私のストレスゲージは0ですw



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押山 雄一
漫画家志望者に向けた厳しい言葉を投げつけまくる内容のコラムが多いですが、厳しいプロの世界だからこそ甘い言葉は言いません。よかったら是非サポートお願いします。

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