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【道徳授業から】仲の良い集団=良い集団?【中学生の考え】
道徳の授業で、
「仲の良い集団=良い集団」?
ということを考えました。
これについて、以下に数名の生徒の考えを引用します。
A.仲のいいクラス=いい集団ではないと思う。仲のいい人とコミュニケーションがとりやすいのは、みんなと気があうので反論とかないからだと思うけど、良い集団は、仲のよくない人ともコミュニケーションをとって、いろんな意見、いろんな反論があってこそ成り立つものだと思う。そして、それをみとめあうことが大切だと思う。
だから仲良くなくても、いい集団はある。
B.良い集団っていうのは1人も見捨てない集団だと思うので、嫌いな人がいても良いからそれで頑張れない人を切り捨てるわけではなく、みんなで助け合うのが大切だと思う。大繩とか合唱の時もみんなが上手くできるように考えていたのでこのクラスは良い集団だと思う。
C.仲が良いと全員が思っていなくても協力して頑張れるのは良い集団だと思う。仕方ないっておもうんじゃなくて 全員じゃないなら もっと良い方向に向かえるようにしよう!って思ってみんなで行動できるのが良い集団?なのかなと思ったり…。
D.先生が最後に言ってた「全員仲が良いと思うのは人それぞれだから仕方ない。で終わっていいのか」っていうのは、仕方ないで終わらすんじゃなくてじゃあ全員が思えるクラスになるにはどこを直すべきだろうってみんなで考えて行動できるクラスが良い集団だと思いました。
いくら仲が良くても変な方向にみんなで結束して動いてたらダメな集団だし、かといって仲が良いわけではなくてもお互いのために同じ目標に向かって頑張れるんなら良い集団だと思うし。仕方ないで終わらせてたら良い集団にはなれないと思いました。全員が同じ意見をもつべきだってことは絶対ないけど、みんなが居心地がいいと思えるクラスを作るのは仕方ないとかそういうのじゃないかなって感じです。常に追求すべき!(?)
E.全員が「仲が良い」と思っていなくても、思っていない人がそう思えるようにみんなが協力することで良くなっていくんじゃないかと思う。ん~。でも、「仲が良い」って思わんくても良い気がしてきた…。わからん。結局何が大切なんかは分からん。難しい授業やった。
「みんな仲良く」とは言わない。
大前提として、僕は中学生に対して、「みんな仲良くしましょう」とは言ってきていません。これは、教師になってからずっとそうです。人間は誰しも合う・合わないがあり、したがって、誰とでも仲良くするというのは極めて難しいことだろう、と。もちろん、本当に誰とでも仲が良くなれれば良いに越したことはないが、大人の社会でもできている人はほとんどいないし、全員と仲良くしようと思うあまり、自分が辛くなってしまうのは不健康だよ、と伝えています。
しかし一方で、「仲が良くなくてもいいから、コミュニケーションを取ることと、集団で何かを決めたときには、共通の目標に向かってがんばろうね」ということは伝えてきていました。
この授業を行った時期は、それなりに学級の仲が良い一方で、少しルールがゆるくなってきていて、一部の仲良しグループが時折ブレーキが利かなくなってきているタイミングでした。
「全員と仲良くする必要はない。だけど…」を考える。
中学生ともなると、やっぱり「全員と仲良く」は無理がある、ということはわかっているわけです。
ここで、「では、全員と仲良くなるのは無理だし、仕方ないし、仲の良くない人とは関わらないクラスでいい?」と問いかけました。
この問いによって、もともと生徒たちの中にあった、「仲が良い」という概念と「良い集団」という概念が分離されることになり、「仲が良い」ということは結果に過ぎず、集団を高めていく上での必要条件ではない、ということに近づきます。
担任である僕の考え
学年にもよりますが、小学生に対しては「仲良くしましょう」と伝えてもいい段階もあると思います。
しかし、それは中学生にフィットする言葉ではないと思います。こだわりの強い子には、そういう言葉によって「仲良く出来ない自分は駄目な人間だ」と苦しくなる子もいますし、「先生たちはどうなんだ」と反発心を持つ子もいるからです。
中学生にとっては、「まずは誰もが安心できるクラスにしよう」ということの方が重要であると僕は考えています。Googleでも言われる心理的安全性ですね。小学生にはこの表現は少し難しい気もします。これをクリアすれば、あとはみんなで協力することができるようになっていくのかな、と。引用しているDの子が書いていますが、「みんなが居心地がいいと思えるクラスを常に追求する」ということが大事なのではないかと思うわけです。
中学生となると、半分大人です。大人の世界では、「仲が良いこと」よりも、「仲が良くなくてもコミュニケーションを取れること」の方が重要です。そして、「仲が良くなくても協力できること」が決定的に重要です。
なぜなら、
仲が良い→協力する
という順序ではなく、
協力する→仲が良くなる
という順序が自然な順序だからです。
生徒にとって学校生活で大切なのは、「仲の良い友達をつくること」ではなく、「仲の良くない人とも協力する姿勢」だということを僕は考えています。この姿勢があれば、結果的に仲良くなっちゃうんです。
高校に進学すると、これまでずっと一緒に学んできた仲間と離れ離れになります。ここで「友達をつくること」が大切だという価値観の子は、「友達できるかな」という不安の中で高校生活に入っていくことでしょう。一方で、「自分は誰とでも協力できる」という自信を持った子であれば、どこに行ってもやってていけると思いませんか?
もちろん、僕自身の考えを生徒には伝えますが、「これが正しい」とは言いません。「人の意見は鵜呑みにしないこと(担任の言うことも)」と言っていますので、このような授業で改めて考える機会を設けてみました。
仲良し志向の集団って、最初は楽しいんですけど、だんだん低空飛行になっていくんですよね…。仲の良さを守るために、言うべきことを言えなくなっていくからかな…。
人間関係は大事です。が、人間関係を考えなくていい集団こそが良い集団かなーと思う今日この頃です。