雑記 2020.4.24
5秒以上記憶が保てない身になったら、同じ杭の周りをぐるぐる回るだけでも毎分新しい発見ができる充実した人生を送れるようになる。
「毎夜同じメンツで飲んで、同じような話をして、次の朝には何も覚えていなかった」
「あの人ツイッターでいっつも同じ話してる、まるで初めて思いついたみたいに」
話は自分で忘れるから再び話したくなるんだ。
記憶してるものを再び話す必要はない。
5秒前にした話を覚えられない身体になれば、僕は止まると死ぬ回遊魚のように延々と無駄な話を喋り続けるだろう。巷で大声で独り言をぶつぶつと呟き続ける○○○○○の廃○のように。
「話さない」っていうのは大変なことなんだよ。
「話す」は大事。
中身のない話も大事なんだ。
話すという行為自体が脳やら肺やら表情筋やらの機能維持のために必要とされている。エンジンを錆び付かせないためだけに行うドライブに意義だ効率だ求めないだろ。
逆に無駄話をしない人間に待っているのはアポトーシスってなわけ。
効率主義者は「生きる」ことの大いなる非効率性と「死ぬ」ことの効率性とを天秤に掛けた瞬間、自分の存在意義を見失って後は死ぬだけの細胞になるのさ。
鶏になったつもりで、同じ杭の周りをぐるぐる回ってみなよ。
進んでも進んでも終わらない道が待ってる。みんなやってる。みんな結局そうなんだ。
かの大巨匠だっておんなじことをぐるぐるぐるぐる、何遍も書き続けてきた。それを文学の香りでトッピングして違う味付けにしてたに過ぎない。あいつも同じところを巡ることから抜けられなかった鶏だよ。
輪廻っていうだろ。
そこから解脱するにはえらい手間がかかるっていう話じゃないか。
どうしても抜け出したいなら、救われたいなら、youtubeや占いサイトなんか全部閉じて「解脱」した奴の話聞きに行けばいいよ。まあそんなものは現世には1人もいやしないけど、システム上。1995年までに(自称)解脱をした人たちの末路ってのを知ってるかい?
要するに、無理だっていう話さ。
早く寝よう。
アフリカのトークラジオをネットで聴きなよ。日本の深夜に聴くと最高にイカしてる。時差があるから向こうは昼か夕方で、いよいよ盛り上がろうって時だから、ノリの良い曲に早口のフランス語でまあとにかく良い話している。まあフランス語全然分からないけど。
ひとりぼっちな自分と、その自分の周りを覆っている深夜は、日本とアフリカの時差よりも深い断絶があるんだって。
そういうこと。じゃあ。
また同じ話させてよ。