この道しかない春の雪降る_2024.11.07
朝6時頃に起床。職場へ向かう準備をして家を出る。朝が冷え込むようになってきて厚手のアウターを着ていく。休憩中にふと空を見ると曇り空の下を4、5羽の鳩が飛んでいて、雲間から差し込んでいた日差しに1羽の鳩の背が一瞬だが灰色に光った。雨上がりの空気は澄んでいて、光も澄んでいる。こういう日に写真を撮りたいなといつも思うが、仕事が残っている。
俳句を読むとき素直にそのまま読んでいく方が面白いと思うのだがどうなのだろうか。書いた人間の心情を投影させるのはつまらない。「この道しかない」とは今歩いている道しかないのであって、人生の選択の話ではない。「春の雪降る」も春の雪が降ってきたのだ。その光景というか、状況がただそこにある。ただそのようにあったということをただ思い浮かべることの方が難しいのかもしれない。「この道しかない」道を歩いるという状況と「春の雪降る」という現象が句を読む人間の中で偶然に擦れ合いひとつの句が生まれた。そのことを素直に読めばいい。
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