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Vol.3 エコとジェンダーを諦めない、生活クラブのマエダさん
本企画の運営に参加しているタナカさんと話していた時、2009年卒のマエダさんが、生活クラブ東京の政策課長だと聞いた。当時、タナカさんは生活クラブ神奈川の政策課長だったので、奇しくも生活クラブの東京と神奈川、両方の政策課長がゼミ生だったということである。
私は、生活クラブ東京が作り、市民活動を資金援助する「市民基金ぐらん」の運営委員を20年くらい勤めている。ぐらんでは都内で活動する市民団体だけでなく、アジアで活動する日本のNGOに対しても資金援助をしており、その選考に関わってきた。
このぐらんの運営委員会で、当時は広報課にいたマエダさんと何度かお会いしていたが、政策課長に「出世」したとは知らなかったので、ちょっと驚いた。生活クラブには様々な形で関わってきていたので、身近な東京と神奈川の政策課長が自分のゼミ生であるというのは、とても嬉しかったのである。
学生時代のマエダさんは文学部だったにも拘わらず、国際学部の私のゼミに参加し、バングラデシュなどの海外研修にも加わって、すっかり国際協力の人だった。一途に国際協力を勉強していた印象を持っている。
当時、ゼミでは3年の春学期に国際協力に関連した英文文献を読むのが恒例だった。中でも一番難しかったのがエコロジカル・フェミニストのバンダナ・シヴァのテキストである。マエダさんはたまたまこの文献の担当になり、読みこなしたのだろう、卒論でエコロジカル・フェミニズムを取り上げた。200人を超える過去のゼミ生のなかで、エコロジカル・フェミニズムを取り上げたのはマエダさんだけ。普段は飄々としていながら、実際はひどく真面目な人柄である。
マエダさんの今の暮らしを聞いてみたい、とタナカさんを通じて連絡してもらい、インタビューが叶った。
女性の少ない環境で、管理職に
——久しぶりですね。まずは、これまでの仕事のことから聞かせてもらえますか?最初は生活クラブの配達からでしたよね。
そうです。入職して最初の2年間は配達の仕事をして、その後6年間は本部で広報として勤務。機関紙などを作る仕事をしたのちに、また配送センターに異動になったんです。そこでまた1年間職員をして、次の3年間はセンター次長という管理職として働きました。センター長のフォローをしつつ、利用拡大に向けた計画をたてたりトラブル対応したり、労務管理などの総務的な仕事もしていました。
——管理職になった当時、ほかにも女性の管理職はいたの?
私がセンター次長になった時点では、24人のセンター長・次長のうち、女性は私だけでした。今はもう少し増えましたが、相変わらず女性の割合は少ないですね。そもそも、全職員の女性の割合が少ないので、まずは女性職員を増やさなければ管理職の比率も上がらないんじゃないかなと思います。
——女性職員が少ないのは、やはり配送業務が大変だからなのかな。
それもあるかもしれないですね。採用の時点では、結構女性の比率は高いんです。ただ、配送センターの業務で辞めてしまう人が多いです。だから、配送業を介さずに本社採用をすることも考えられてはいるんですが、悩ましいですね。個人的には、配送をせずに生活クラブの本質的な部分がわかるのかなと思うところもあって……。
——なるほど。センター次長を経て、今はどんな仕事を?
センター勤務後、また本部に戻って政策推進課に3年間勤務しました。エネルギー関連の環境政策、脱プラスチックや生物多様性関連などの業務ですね。食と農に関しては、都市農業の生産者の集まりを開催するなどしていました。今は、情報政策室に異動して1年目です。
インドで会えた、学生時代から憧れの人
——今まで仕事のなかで大変だったことはどんなことですか?やっぱり配送ですか。
そうですねえ。配送センターの次長のときは、本当に忙しかったのでちょっとギリギリな状態でした。異動の希望の用紙に、油性ぺンの太い方で「こんな状況で働けると思うか」と書いて出したこともあります(笑)
——配送業務をこなした経験のあるマエダさんでも、そんなに大変だったんだね。政策推進課の頃はどうでしたか?課長だったんですよね。
その部署では、主力のメンバー含め、子育て世代が集められていたんですよね。もちろん仕方がないこととはいえ、お子さんの都合で来られなくなったときのフォローも考えなければならなくて。本来は仕組みや組織全体でカバーするべきだと思うのですが、やっぱり「誰もが働ける社会」と現実はまだ乖離しているなと感じていました。
——なるほどなあ。仕事はどんな内容でしたか?
その頃の仕事では、政策提案がおもしろかったですね。
——学生時代の興味範囲からすると、やはり環境政策?
そうですね。昨年は、生活クラブ東京から東京都に対して請願を出そう、と。エネルギー基本計画が変わるので、国に対して「脱原発・脱石炭火力を進めて、再エネをもっと増やすこと」を進めてもらえるように、生活クラブ東京として請願を出しました。
——そういえば、インドにも行ってませんでしたか?
ああ、インドに行けたのも政策推進課の頃ですね。生活クラブ連合会の国際協力担当をしている方が、私がゼミで文献を読んだバンダナ・シヴァさんとつながりがあって、私が彼女をすごく好きだと話したら、彼女が主催のイベントに行く際に私も連れて行ってくれたんです。
——どんなイベントだったの?
これはライト・ライブリフッド賞(Right Livelihood Award)の関係で、バンダナ・シヴァさんを中心に世界の女性たちが集まってマニフェストを作って発表するという会でした。
——大学で彼女の文献を読んで、卒論で引用したことをご本人に伝えられたんですか?
本を持って行ってサインしてもらいました!もう70代になられましたが、いまだにすごくパワフルな方ですね。そのイベントでシヴァさんが「私たちはインドで農民を集めて組織化してきたけれど、消費者の方は組織化できなかった」と話されていたのが印象的でした。日本の生協の人たちを連れて来て、勉強したいなと思いました。
ジェンダーは、男女の話ではないんだと気づいた
——大学時代、マエダさんは文学部の言語コミュニケーションだったでしょ。何で国際協力のゼミに来たんでしたっけ?
大学で開催していたフィリピン研修が、国際協力に関心を持った最初のきっかけですかね。その研修後、カンボジアやバングラデシュにも行ったんです。カンボジアではポルポト政権について触れ、本当の意味で民主主義の大切さがよくわかりました。「みんなで農業に従事しよう」と聞けば良い政策のようだけれど、強制でやると全くダメなんだな、と。いろいろな国を訪れた経験も、私の国際協力観を作っています。
——そうだったんですね。卒論でエコフェミ(エコロジカル・フェミニズム)を取り上げたのは、どんな影響だったんでしょう。大学に入学する前から、環境やジェンダーの問題に興味があったんですか?
環境問題は多少ありましたが、フェミニズムやジェンダーはまったく。最初は関心があまりなかったんですけど、「男女」というふたつの立場ではなく、立場が弱い人をどうするのかという話なんだと理解したら、おもしろいなと思うようになりました。
——エコフェミに興味がある流れから、生活クラブに就職したんだったよね。実際に社会に出てみると、国際協力に関心があるのは少数派じゃないですか?それは感じない?
そうですね。最初の頃、配送センターでは「ジェンダー?何?」みたいな感じで。大学でフェミニズムを勉強していたと話すと、「真逆の職場だけど大丈夫?」と心配されたりもしていました。でも今、本部勤務になって、周りには「一緒に勉強していきたい」と話せる人が増えています。これまでは講師が男性ばかりだった学習会でも、フェミニズムを取り上げて女性を増やそうとしてくれている上司もいます。
国際協力を学んだ人として
——マエダさんが卒業した頃に比べたら、社会でもジェンダー問題の認知が広がってきてはいますよね。学生時代にそれを勉強していたマエダさんは、先駆者的な感じになれているのかなと聞きながら思っていました。
たしかに、最近はジェンダーの話をしても「何その話?」という感じではなくなりました。私が先駆者かどうかはわからないですけど(笑)、勉強したことがすごく役に立っているのは感じています。
——じゃあ、日本の社会ではマイノリティなっちゃうような国際協力を勉強したこと、後悔はしていないですか?
あはは、してないです。あの大学に入って、先生のゼミに入ってなかったら、今の仕事はしていなかったなと思うので。
——それが私としては心配だったんですけどね……。でも、聞けてよかったです。
もちろん、まだまだ労働環境は改善が必要ですけど。ただ、「こんなひどいことが社会で起こっているんだ」と話すと、ちゃんと「そうだよね、わかる」と言ってもらえる職場です。周りの人たちも巻き込みながら、もっと勉強しなきゃなと思っています。
——バンダナ・シヴァにも会っちゃったしね。これからも頑張ってください。
インタビューを終えて
マエダさんが就職する時、生活クラブを勧めたのは私だった。確か「NPOみたいな仕事だけど、ちゃんとした給料が貰えるところ」と勧めたような気がするが、彼女は素直に受け止めて生活クラブ生協に就職した。
その後、市民基金ぐらんの会合等で会った際に聞くと、入職して最初の宅配ドライバーの仕事が大変だったと話していた。組合員と接する宅配の仕事が生協の基本だから、ということで新入職員が担当するらしい。生活クラブのNPO的な活動に憧れて入職しても、この最初の宅配ドライバーの仕事が大変で辞める人もいるそうである。マエダさんは頑張って、そこを乗り越えて女性管理職になり、今やさらに上になる可能性もあると聞いて、真面目にコツコツとやっていくことの力を感じた。
政策課長の時にインドで行われた国際会議に参加して、卒論以来のバンダナ・シヴァに会ったと嬉しそうに話す彼女を見て、私も嬉しくなった。エコロジカル・フェミニストにとっては、女神様みたいな憧れの人なので、彼女と直接会って言葉を交わしたのはその業界では勲章みたいなものである。
仕事の内容を聞いても、食を通してのエコロジーと、女性として仕事を続けていくフェミニズムの実践の両方を感じた。大学時代に出会ったエコロジカル・フェミニズムを、日本社会の中で苦労しながらも貫いているんだなと、心が温かくなった。
しかし、出世していくときに激務が伴うことは、私が若かったころから変わっていないなと思う。きっとどこの職場でも同じような状況だろう。彼女の身体の健康が心配だし、仕事漬けの日々のためにプライベートで諦めたこともあったかもしれない。生活クラブにも働き方改革が必要だろうと感じるし、マエダさんにはもっと出世して、そうした改革を進める立場になってほしいなと思う。ただ、まずは身体と心の健康を大切に、と祈るばかりである。
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