「好きは変わる」「好きを遺す」
みなさん、おはようございます。今日も、お疲れ様です。進撃の巨人の放送まで、粘って起きていたのに、放送が無かったショックで、そのまま気を失ったマークです。さて、投稿も昨晩、書きかけていた続きです。こういうときに、下書きの素晴らしさを実感しますね。
さて、私は、あまり過去を振り返らない派なのですが、昨日、神奈川大学の3年生と好きな食べ物、嫌いな食べ物の話をしているときに、「ナスが嫌い」という話になりまして。ナスが嫌いな人は、あまり多くない印象なのですが、数年に一度、お目にかかります。そういえば、前回は・・・・などと、考えているうちに、脳内で過去にタイムスリップしまして。
子供のころ、ビールやマツタケ、銀杏などの美味しさがわからなかったように、というか、むしろ嫌いだったのですが、年を重ねて好きになるように、幼稚園の頃に好きだった相手のタイプと今の好みが全然違ったり、中学生の頃にジャニーズが好きだったのが、高校生になると韓流になり、大学生になるとエグザイルになるように、好みって、変遷があるなぁと思ったわけです。
「好きは変わる」
でも、そのとき、そのときで、好きだった物事やその気持ちは嘘ではないわけで。だから、今の好きを全力で残しておくというアルバム的な価値も、OFにはなるのかもしれないと思ったわけです。
「そのときの好きを残す」
は、意味があることでは?