ヘイトより平和を――!
韻と言うものは後尾や下の句などで踏まないと、韻として,認められないのが、その定義。
ヘイトより平和をーーと言うタイトルは韻を踏んでない。と解釈されるだろうが、わたしはこの、自分で考えた言葉が好きだ。
言葉のふくみが良いだけでなく,ゴロも良いし言葉に力があると思えないだろうか…。
しかしこの言葉は重くて深く,わたしにのし掛かって来る。
何故なら,わたしは最近富に、ツレとのイサカイが増えてしまいnoteを記す気力さえも,萎えてしまうような日が結構、毎日のようにもしくは連日解消されずに,長期化している。
仲直りしたと思ったら,またか!と、わたしはガッカリさせられる。
昔,彼は周囲には穏やかな人柄で有名で、その当時は街の小売店主をやっていた。
地域の人の悩みまで聞いてあげるような奇特な人だったが、外面が良かっただけなのか,年を重ねて行くにつれ、ヤキが回ったのか…身内の私には、非情な人間に感じることが近頃よくある。
今迄の平時の態度から、コロッと180度変わり、違う人間性を持つようになったかと思うくらい “人が変わって” しまった。
でもそれは急にではなく,じわりじわりといつの間にか、こんな人に成り下がってしまったのか!と言うくらい、感情をむき出しで敵対して来るようになったのだ。
まるで,あかの他人のように…今迄20年も続けて来た関係がいとも簡単に崩れ去るかのように…。
本当にやりづらいし、生きづらいし…この人はわたしよりもだいぶ年上だから、わたしがこの人の介護をする状況が来たら、愛情も失せてしまって今後、わたしは「その時の今」が耐えがたくなるのではないかと、不安だ。
そうしたら、わたしはこの場から逃げ出してしまうのではないかーーとか、正直なところ,自分自身に自信が持てなくなり、大いに心配になっている,今日この頃…。
自分に対して、
『大丈夫か、自分!?』
と、自分自身のこころをとらまえて揺さぶってみても、考えがブレてまとまらない。
今や、介護はみんながやっていると言っても,そんなご立派に、こんな悪態をつく爺さんの世話が、本当にこのわたしに出来るとは、とうてい思えない。
人生は一度しかないから,このような経験が初めてであるのは当然だ。
認知症って,こうして忍び寄って来るのだろうか…。
だったらなおさらのこと,わたしは認知症が、こわい。
虐待して,殺してしまうかも知れない
…そんな思いもよぎる。
殺人犯として,牢屋に投獄されるのだぞ!?
あなたなら,どうするだろうか…?
ヘイトより平和をーー。
この言葉を愛して止まないわたしは、時と場合によっては鬼になるやも知れぬ。
そんなおそろしくも哀しい想いを、こころのうちに湛えながら、今日も生きて行くしかないわたしがいる…。
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夏雀/至近距離から/見ては跳ね
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